コラム KAZU'S VIEW
2015年08月
64回目の誕生日を迎えて思うこと
8月8日に、無事64回目の誕生日を迎えられた。8月8日に生まれたので、8×8=64の数字に何かしらの意義を見つけようとした1日であった。初孫からの誕生日祝いは、テレビ電話での無言のメッセージとFace to Faceを無視され、後ろ向きの画面であった。丁度その日、娘の同級生がソプラノ歌手で、「真夏の夜のコンサート」という地元公民館での無料コンサートに出て、歌うと言うので一家で行こうということになり、出かけ時にこの初孫からの洗礼を受けた。コンサートプログラムでは90分となっていたが、50分位でコンサートはお開きとなり、何となく気が抜けたが、Facebookを通じて国内から5名、海外から2名の誕生日メッセージをもらった。この件数は、過去最高であり、その穴を埋めてくれた。
帰宅して、テレビを見ていたら、ブラットピット主演のフューリー(Fury)という戦争映画をやっていた。第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を舞台にフューリーと名付けられた戦車に乗り合わせた5人を中心としたストーリー展開であった。戦争が人間性を麻痺させるというテーマだと理解した。また、スピルバーグ監督作品の「太陽の帝国」(1987年)という日中戦争を題材にした戦争映画も見た。空に憧れを持つクリスチャン・ベール演じるイギリス人の子供ジェイミーの目を通して、日中戦争時の租界(ソカイ)地としての上海の様子を題材にしていたところが印象的だった。
戦後70年を迎えて日本の今後はどのようにありたいのか?2011年3月の東日本大震災以降の4年間、異常気象が続いている。100年来、50年来経験のない気象変動の言葉が耳馴れて来た。異常が正常に変わって構造変化になる。八百万(ヤオヨロズ)の神々の警鐘としてこの自然現象の異常を認識すると、神々は日本の民に新な変化を提示し、民の変革を誘導しているのではないか。ドイツ戦線と中国戦線の映画の偶然性が戦後70年で日本人はどう変われたのか?を問われているような必然性を感じた。末広がりの64回目の誕生日の行く末を不安と期待を持って見守りたい。
以上
平成27年8月