コラム KAZU'S VIEW
2015年03月
秀吉と官兵衛の共創モデルはソニーやホンダに再帰したか
昨年のNHK大河ドラマは「軍師官兵衛」だった。軍師としての官兵衛が主人公であったが、彼を取り巻く当時の日本のリーダーであった信長、秀吉そして家康と関係性が非常に興味深かった。脚本は、氷壁や必殺仕置き人を手掛けた前川洋一(マエカワ ヨウイチ)氏である。
組織論の視点からは、将軍としての秀吉と軍事参謀の官兵衛が戦(イクサ)という殺し合いの世界を無くしたいという夢(ありたい姿)を共有し、これを実現したが、やがて、その共感性がなくなり、共創活動が終わりを告げた後、参謀が将軍を目指したが、家康というリーダーにその座を譲らざるを得なかったというストーリー展開になっていたと思う。
ソニーは井深氏と盛田氏のペアー、本田は宗一郎氏と藤沢武夫氏のペアーが戦後の日本企業のサクセスストーリーだった。オカメとヒョットコ、割れ蓋(ワレブタ)に綴じ蓋鍋(トジブタ)の例えがある。まさに物事の両極端がバランスをとる世界。危(アブ)かしげなバランスの上に、日々の実感的生活を楽しみ、生きながらえることのできる、不思議な民族が日本人のような気がする。
数年前に東南アジアの数か国を回った時に、町を歩いていると、街角から声をかけられた。Where do you come from? Are you Korean? その私の答えは、 I come from Japan. I am a pure Japanese. その後、質問した人が、 What do you mean “a pure Japanese”? 多分、東南アジアの人々からすると、日本人は近くに住む遠い人。というような認識ではないのかと、ふと、思った。明治維新で唯一アジアの国で西欧に御(ギョ)したのは、唯一、日本のみであった。他の、アジアの国々はすべて、その多少は別として、西欧の植民地になっていた。それは日清戦争、日露戦争に勝った、世界の陸地の0.3%に満たない極東の国が残した結果は、欧米の人々からすれば、信じがたいものでであってであろう。その価値を一番知らなかったのは、日本人であったのではないか。
戦後、70年を迎えようとしている。終戦で生まれた人が、古稀・古希(コキ)の祝いを受ける年。古希の由来は、中国の詩人、杜甫(トホ)の歌らしい。曲江という詩句に「人生七十古来稀(七十年も生きる人は古くから稀である)」という一節がある。曲江は、長安の東南にあった池の名前と聞く。しかし、この歌を作った杜甫、自身は59歳でこの世を去っている。昨年、7月に厚生労働省が発表した日本人男性の平均寿命は80.21歳、女性が86.61歳であった。70歳を超えて生きる日本人はもはや、希ではなくなって来ている。これは幸か不幸か?その答えを自身で確認するには、後、6年も生きなければならないか?6年後は吉か、凶か?
以上
平成27年3月