コラム KAZU'S VIEW

2014年05月

明治・大正の日本女性にみる世界価値

朝ドラの「花子とアン」を時々見ている。「赤毛のアン」の翻訳家の村岡花子(ムラオカ ハナコ)の半生を描いた村岡恵理(ムラオカ エリ)の「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」を基に中園(ナカゾノ)ミホが脚本化したものである。トウェインやディケンズなど欧米の児童文学400冊以上を翻訳家、少女小説家、「村岡のおばさん」としてのラジオ番組担当者、随筆家、評論家など幅広いマルチ・タレントとして縦横無尽(ジュウオウムジン)に活躍された明治の女性。
明治の女性と言えば、樋口一葉(ヒグチ イチヨウ)、与謝野晶子(ヨサノ アキコ)、竹田ハツメなどなど枚挙(マイキョ)に暇(イトマ)がない。ちなみに、樋口家の出身も山梨である。ところで竹田ハツメという方は日露戦争に日赤医療団として戦地後方支援をした方である。昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜(ヤエノサクラ)」の新島八重(ニイジマ ヤエ)も日露戦争時に篤志看護婦(トクシカンゴフ)として大阪にある予備病院で看護活動を行っている。
竹田ハツメさんが日赤医療団の一員として従軍した第一次世界大戦は、1914年から1918年にかけて戦われた人類史上最初の世界大戦である。きっかけは1914年6月、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が銃撃されたサラエボ事件である。世界の火薬庫といわれたバルカン半島から全ヨーロッパに戦火が広がった。この戦争には、飛行機、戦車、毒ガスなど当時の最先端技術が導入された。その結果、戦死者は900万人を超えたと言う。正に、技術が大量殺戮(タイリョウサツリク)に用いられた初めての戦争を彼女達は、フランスのパリで、時に月4600人の戦傷者の看護治療を通じて体験している。ハツメさん達日赤医療団は、フランス政府の要請で日本から派遣された。その背景には、日露戦争を通じた日本の戦場医療技術レベルの高さが1つの要因とされる。その第一次世界大戦勃発から今年で100年となる。しかし、未だ世界各国で戦争の火種は絶えない。このような世界を彼女達はどう見ているのだろうか。
明治・大正時代の日本女性の世界観や世界的活躍を見ると、そのスケールの大きな志を感じる。今の我々日本人は、彼女達の思い描いた日本の姿にどれだけ重なりを持つのか、聞いてみたい衝動に駆(カラ)られる。
                以上
平成26年5月

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