コラム KAZU'S VIEW

2013年08月

この暑さを乗り越えれば、次の目標も見えて来るかも

今年の猛暑(モウショ)は尋常(ジンジョウ)ではない。山梨県、高知県で日本国内史上4位となる40.7度を記録し、観測927地点中290地点の31%が猛暑日となったそうだ。お盆の帰省で甲斐駒ケ岳(カイコマガタケ)の麓(フモト)にある家内の実家を訪れた。ここは、通常は避暑地であるが、さすがに今年は、日中には汗が噴き出るほどであった。何か最近の気象にはただならぬものを感じる。
聞くところによると、今年は高校家庭科が男女必修になってから20年になるらしい。その始まりのきっかけは、1985年に国連の「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃(テッパイ)に関する条約」を日本が批准(ヒジュン)したことらしい。この年、昭和60年は、私が金沢に来た年でもある。スポーツの世界をはじめ、力強い大和撫子(ヤマトナデシコ)が大活躍している姿を見るにつけ、この教育実践は確実に実績を上げて来ていると実感出来る。この、高校家庭科の学習教育目標は、「生活の課題の解決を図りながら、自立的・自律的に生きていく力を習得すること。」、そのためには、生活を科学的・総合的にとらえ、新たな生活スタイルを創りあげて行く実践力が重要となってくると、日本家庭教育学会会長の大竹美登利(オオタケ ミドリ)女史が述べている。
これに似た言葉が百年前の1911年F.W.Taylor(テーラ)が出版したThe Principle of Scientific Management(科学的管理法の原理)が世界に与えた内容に対するDrucker(ドラッガー)の言葉、「テーラの業績は仕事に知識を導入し、物作りの生産性を飛躍的に向上したこと。これにより、労働者は資産家となり、世界同時革命は起こらなかった。」ここでの「知識」とは、科学的・総合的(価値を産み出すために分析的な科学のアプローチを利用し、統合化する意味)なものを意味する。つまり、仕事を生活に置き換えることで、その共通性が見えてくる。
これから向かうであろう「知識社会」は情報社会の行き先でもある。情報が不偏化(フヘンカ)し、誰でも、どこでも、何時でも、どんな情報でも得られる社会、そのような社会では入手できる情報を使って、新たな知識を創り出す、イノベーションが競争力となる社会であろう。技術に対する人間の制御力が失われつつある今日、技術とどう向き合って生きていくのか。この問題は、この世に生きる全ての人々が直面するであろうと考えられる。技術によって、人類はその未来像を決めて、その実現に向けて進む責任を負ってしまったのかもしれない。ありたい姿を求めて努力する自立化に対し、それを追求することでありたい姿を求める自由を失うリスク、すなわち、個々人が好き勝手に生きることで他者の自由を侵すことで生じる悲劇を回避するために、自律という振り子を持って生きていく術(スベ)が必要になる。その意味で、生活(人が生きるための)のための技術マネジメントはこれからの生活者の教養として必須のものになるのではないか。
来年から、この課題に取り組むことの困難さを噛みしめながら、しなやかに楽しみを感じつつ、62回目の誕生日を迎えて酷暑(コクショ)を乗り越えようと、ふと「真夏の夜の夢」に耽(フケ)てしまった。
以上
平成25年8月

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