コラム KAZU'S VIEW
2012年04月
赤木博氏のロイヤルクイーンづくりは日本男児復活の先駆けか?
苺(イチゴ)という果物は私の好きなものの1つである。また、イチゴショートもスイーツの中で、レアチーズケーキとともに2大好物である。その苺にまつわる話である。たまたま見ていたテレビで、映画俳優の渡辺謙(ワタナベ ケン)氏の娘の杏(アン)さんをゲストとした番組の中で紹介されていた方が、赤木博(アカギ ヒロシ)という方であった。還暦を迎えてから、故郷の栃木県からタイに出かけて苺づくりをタイの人びとに教え、8年かけて画期的な苺を作ったという。赤木さんは、日本にいた時に画期的な苺で女峰(ニョホウ)という新種を開発し、苺つくりの神様的存在だったという。
タイ北部に位置するチェンマイ県ファンの標高1800メートルの山の急斜面で栽培指導に携わっている赤木さんは、現在68歳である。イチゴの育種(イクシュ:生物の遺伝子を操作して人間に取って都合の良いモノを作り出すこと)に30年以上携わってきた赤木氏だが、亜熱帯気候の中での栽培は初めての経験で、まず、直面した課題は、イチゴの大敵、炭疽(タンソ)病の予防だった。活動はすべて無償、航空費も自腹、1年のうち10か月をタイで過ごすため、現地に家を建て、車も購入したらしい。その結果、退職金をほとんど底をついた。そうした献身的指導で、約7ヘクタールの土地に、100軒以上の農家がイチゴを栽培し、収入も増加したという。妻の康子(ミチコ)さん67歳は、「亭主は元気で留守が何より」とおおらかに構えておられた。
野生のイチゴは石器時代からヨーロッパ、アジア一帯で食べられていたが、現在のようなイチゴが栽培されはじめたのは200年ほど前のことである。南アメリカから持ち込まれた品種は、北アメリカから持ち込まれた品種が自然交雑(シゼンコウザツ)したものといわれている。日本には江戸時代の終わり頃に伝わったが、その当時は定着せず、その後、明治30年頃にフランスの品種が導入されたことで本格的な栽培が始まったとされる。表面はやや硬め、かじるとやわらかく果汁がたっぷりであることが、その食感とともにおいしさを生み出している。この背景には、独特の栽培法がある。農産物には水をたっぷり与えるというイメージが強いが、このロイヤルクイーンはできるだけ水をおさえて栽培する。そうすることで、果皮(カヒ)はしっかりして、甘さをたっぷり貯め込むことができる。苺づくりのプロ中のプロ達が、とことん水にこだわり、手間ひまをかけて、ていねいに作り上げていることがその品質を担保している。このロイヤルクイーンは、その生産履歴をhttp://www.rireki-miru.com/のサイトで探索できる。生産履歴を見ることで食の安心・安全をある面で得ることできるかもしれない。その操作方法は簡単で、生産番号を入力すれば、すぐに生産者のプロフィールがわかるようになっている。
ものづくりに寝食(シンショク)を忘れて、没頭(ボットウ)する男の傍(カタワ)らで見守る女がいる。その女は家庭で男が外で仕事している姿を一定の距離感を持ちながら、自分の世界を持つ。そんな男と女の関係を基礎とした社会づくりは、男女相互の啓発を促す社会になるのではないか。赤木さんご夫婦の還暦後の生き方は、グルーバル社会での日本人の高齢者と言われる世代の「ありたい姿」の1つになるのではないか。
以上
平成24年4月