コラム KAZU'S VIEW

2012年01月

辰年のはじめみに世界ランクの日本女性が日本を昇り龍にするか?

辰年のはじめは、澤・バロンドール・穂希(ホマレ)女史とノルデイックスキージャンプ種目のワールドカップで二位になった女子中学生の高梨沙羅(タカナシ サラ、北海道・上川中学)ちゃんの2人の日本女性がまたまた快挙を上げ、日本を熱くするきっかけを作ってくれた。改めて、日本女性のものすごさを思い知らされた感がある。
上川中学というと長野オリンピックをはじめ、世界大会で9個のメダルをとり日本人最多のメダル獲得数記録を持つ原田雅彦(ハラダ マサヒコ)氏が思い出される。高梨選手は彼の後輩にあたる。また、澤穂希選手については2011年7月のコラムの「なでしこジャパン」でも触れたが、1993年から日本代表としてプレーし、2011年7月にメキシコ戦で76ゴール目を記録し、かの釜本邦茂(カマモト クニシゲ)氏を超え、日本人男女を通じての代表最多得点記録保持者となっている。
2人がその栄誉を獲得した競技である、サッカーとノルデイックスキーという競技はその歴史はかなり古く、生活に密着したものである。スキー競技にはアルプス地方で普及したアルペンスキーとスカンジナビア半島で発展したノルデイックスキーがあるが、アルペンスキーの方が派手で目立つために、日本ではスキーというとアルペンスキーを連想する。これに対し、ノルデイックスキーは地味で暗いイメージがある。スキーの歴史は今から約4500年ほど前のスカンジナビア半島の壁画に記載されているものが最古のものと言われるが、今日のスキーは1820年代にソンドレ・ノルハイム(現代スキーの父)によって確立された「歩く、飛ぶ、滑る」のスキー技術と1860年代のビンディング装置の開発に始まる。また、1924年の国際スキー連盟(FIS)結成後の国際競技種目としては1924年から開始されたノルデイックスキー種目に対し、アルペン競技種目は1936年まで待たなければならない。一方、多くの日本人がノルデイックスキーを認識し始めたきっかけは、荻原 健司(オギワラ ケンジ)氏がこのノルデイックスキー複合競技個人で世界3連覇を達成した事の偉業が世界的に報じられた事である。この種目はクロスカントリースキーとスキージャンプという2つのノルディックスキー種目を組み合わせたものである。クロスカントリースキーは耐久力の勝負であり、スキージャンプは瞬発力が勝負である。この耐久力と瞬発力という背反する特性の両方を要求されるスポーツであることがこの競技の勝者が「キングオブスキー」としてリスぺクトされる所以であろう。一方、サッカーの起源は今から12000年前の新石器時代の中国や、3500年前のチリ、パタゴニア、2800年前のメキシコ、2200年前の古代ギリシャやローマなどの諸説がある。しかし、国際サッカー連盟(FIFA)が公式に認めているのは、2100年前の中国、前漢時代末の蹴鞠(シュウキク、日本でのケマリ)とされている。現在のサッカーは15世紀頃のヨーロッパでイングランドのフットボールやイタリアのカルチョと呼ばれる遊びが元となり、やがて産業革命を契機として、イギリスのパブリックスクールを通じてスポーツとして整備された。スポーツとしての発展はルールの統一化の動きの中で、手を使うことを禁止するルールと、手を使うことを許可するルールとに集約され、更に、この2つのルールの統合が議論された事を契機に前者がサッカー、後者がラグビーという2つのスポーツに別れる。サッカーグループはFootball Association(FA)を設立し、そのフットボールをAssociation Football と呼ぶようになり、その省略形 SOCに-erをつけたものが soccer(サッカー) の名前の起こりとなったらしい。このサッカーは19世紀後半の大英帝国の世界展開に伴って世界中に広まり、1904年にFIFAの設立となる。FIFAは国際スキー連盟(FIS)より20年前に設立されている。
サーカーとスキーは人類の生活の中で三千年以上の歴史を持ち、培われて来た経緯がある。スポーツが生活からかけ離れ、プレーヤーと観客が二分化される傾向が顕著になってきた。今年は7月28日から8月12日までスポーツの祭典である第30回オリンピック競技大会(ロンドンオリンピック)が開催され、26競技、300種目が行われる。オリンピック競技大会は夏季大会と冬季大会があり、夏季大会は西暦が4で割り切れる年に開催されるが、1994年以降は夏季と冬季が2年ごとの開催となり、次の第22回冬季大会は2014年にロシアのソチで開催が決定している。ロンドンでのオリンピック開催は過去3回ある。第4回(1908年)、第13回(1944年)そして第14回(1948年)である。第14回大会には日本は参加できなかったが、同時期に行われた日本選手権の400メートル自由形と1500メートル自由形で故古橋 廣之進(フルハシ ヒロノシン)選手は、世界記録をマークし、同五輪での優勝タイムを大きく上回り、その勢いに乗って、翌年の全米選手権(ロサンゼルス)でも世界記録を出し、米国メディアから「The Flying Fish of Fujiyama:フジヤマのトビウオ」と称賛され、敗戦で打ちひしがれた日本人に勇気と自信を与えた。氏は数年前に80歳で他界したが、現役時代に世界記録を更新した回数は33度といわれた。昨年、我が国は東日本大震災をはじめ様々な災害、事故に見舞われ、海外から多くの支援や励ましをもらった。「がんばろう日本」のキャッチフレーズも耳慣れたものになった。今年は、その返礼としての日本復活をオリンピックという世界の観客が見守るステージで日本の活躍のニュースが見聞きでき、再び日本人が勇気と自信を持てるようになることを心から祈念するものである。
以上
平成24年1月

先頭へ