コラム KAZU'S VIEW

2003年09月

和魂和才

21世紀に入って未だ明確な未来像が見出せない日本の今日このごろである。しかし、日本の大きなターニングポイントであることは海外に出てみると明確になる。この数年、欧米アジア地域を訪れ肌で感じることは日本への期待の大きさである。その期待は物的、経済的な観点より、その精神的、文化的視点である。このことがきっかけで日本の文化的、精神的ルーツに関心を持ち、合わせて現在研究中の「価値の振り子-スイング理論-」による整理をしてみた。スイング理論とは世の中の価値観の動きを振り子にたとえ、内←→外および物←→心のスイングの動きで捉えようというものである。日本の歴史にその足跡を見出してみると、いわゆる日本における国難という現象をきっかけにその動きを見出すことができる。それは3回あったのではないか。

まず、最初は6世紀の仏教の公伝に関するものであろう。聖徳太子の時代、日本にはそれまで八百万の神を中心に神道があった。これに対し、仏教がその当時の最先端の高い文明性を競争力として日本に入ってきた。日本が天皇を中心に国としての形態を固めつつあったころに、当時の日本の心と仏教を「和」の概念をもって、共鳴させた価値創造の結果を見ることができる。ここに世界でもまれな日本教とでもいえる仏教、神道、儒教をも取り込んだ新たな心的価値が創造された。この価値観は現在の世界の閉塞感、すなわち1信教としてのキリスト教とイスラム教との対立の問題解決には、もはや1信教の論理では解決の糸口が見えない。上記の心的価値観はこの問題解決の世界で唯一の糸口としての存在性が明確になって来ている。この時代は日本海側が表日本であった。

次が13世紀の元寇ではないか。この時代背景は日本が貴族社会から武士社会へと大きく変わる時代に、当時の文化・軍事優位国でありかつ世界を制覇した巨大勢力の脅威を克服した後の価値創造である。これは、当時の階級で最も行動的な階級層であった武士が外側からの力である元寇に対し行動し、その行動経験を振動させ、内に振れることにより、その後の日本文化の特色となる「わび」、「さび」および諸行無常や各種武道からの精神的価値創りが新たな日本的文化の象徴ともいうべき心的価値を創造し、「禅」なる哲学形成となっている。これは最終的には鎖国という形態で完結する。

そして、3回目が19世紀の黒船による開国となろう。改めて、心的価値が西洋文明なる合理主義の競争優位性の中で和魂洋才なるコンセプトに始まる外側へのスイング、物的価値へのスイングが始まる。この外へのスイングは太平洋側を日本の表とすることで、日本海側は裏となった。現在は上記3つの国難事例が六〜七百年単位の周期を持つと仮定するとまだ半分程度となるが、18世紀の産業革命、20世紀後半からの情報革命が変化スピードをどの程度加速するかの問題に関わってこよう。しかし、戦後の奇跡的復興、発展は物的価値と経済価値の価値最大化を忠実に進めてきた成果であり、黒船開国以来の目標である、欧米に追いつけ、追い越せの達成はほぼなされた。しかし、20世紀の残り10年を境に、物的価値と経済価値の追求は必ずしも心的価値の増大を保証しないことを我々は気づきだしたのではないか。1998(平成5)年以降連続して日本人の年間自殺者が3万人を越え続けている現実をみると、そのことを痛感させられる。
我々は和魂洋才の流れの中で和魂を見失ってしまったことが現在の閉塞感の原因ではないか。スイングを外側から内側に、そして物から心に変え、「和魂和才」のビジョンに向かって進もうではないか。

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