ECTM16 医療倫理学・生命倫理学の方法論について

宮坂道夫(新潟大学医学部保健学科)


1. はじめに

バイオエシックスはすべての人にかかわる生老病死に関するものである。市民参加・社会運動のニュアンスもある学問であり続けてきた。今日は、方法論に中心をおいて話をしたい。日本の倫理学の分野では、外国の学説の紹介ばかりに力が入れられてきて、方法論の研究はあまりされてこなかった。医療倫理学と生命倫理学の違いなどの議論もあるが今日は割愛する。今日はほぼ同じ領域のことを言っていると考えてほしい。

医療は文脈性がとても強い領域であり、文脈の中でどう考えるかが重要である。医療における2大領域は「臨床」(治療)と「公共政策」(医療費など)である。倫理は両方にかかわる。臨床には対人的・間人的な倫理であり、公共政策には法制度を基礎づける倫理が関連する。ビジネス倫理も関連することがある(製薬企業など)。

医療倫理学の概要を見るために、拙著「医療倫理学の方法」(医学書院)の目次を参照されたい。

●医療倫理の歴史:現在の医療倫理の裏には過去の悲惨な歴史がある。医療の名の下に人体実験や命を奪ってしまうという歴史があった。それをよく検討して、再度起こらないようにする、ということが医療倫理の重要な側面としてある。
●方法論:医療倫理は主に英語圏で発達してきた。英語圏の倫理学は独特である。たとえば分析哲学、功利主義、プラグマティズムなど。そして法律と倫理が違うのが特徴である。宗教と倫理の議論の近さもある。
●領域:領域としては主に4つある。1)死とそのプロセスについて(安楽死等を含む)。2)性と生殖。3)患者の権利と公共の福祉(自殺希望、他殺希望、感染症など)、4)医学研究と医療資源(科学技術倫理とオーバーラップするだろう分野。研究が発達すると、臓器、新しい薬など新しい資源が生まれる。医療資源はいつも不足する現状がある、それをどう配分するか)。

2. 3つの方法論―原則論、手順論、物語論

主に英米で発達した医療倫理の方法論を、私は3つに整理した。原則論、手順論、物語論に分けられると考えられる。

医療倫理の理論から実際の現場の意思決定に至るプロセスとしては、下記のように整理できると考える。まず、カントの理論、イスラム教狭義、ミルの理論など多様な倫理理論があり(step1)、そこから共有可能な原則(無危害原則(安全・有効))を抽出する(step2)そして、多様な規則(ガイドラインや標準的方法)を作成したり、多様な現実場面での判断や行動を行っていく(step3)。

2-1. 原則論 principle based approach

倫理原則ethical principleに基づいて問題点を整理し、推論を行う。

(1) 原則とは何か

  • 原則(プリンシプル) :具体的な内容を含まない

(2) 原則の内容

●米国型の四原則 「ベルモントレポート」1978年がもと。

  1. 自律尊重 respect for autonomy
  2. 無危害 nonmaleficence
  3. 恩恵beneficence
  4. 正義justice
●欧州型の四原則 1998 EUの欧州委員会に対して行った提言「バルセロナ宣言」。
  1. 自律 autonomy
  2. 尊厳 dignity
  3. 不可侵性integrity
  4. 弱さvulnerability

1) 自律尊重原則(自律原則)autonomy

  • 米国型では自己決定権とほぼ同義。
  • 欧州型では自律を自己決定に限定しない。
  • 自律とは人間のもついくつかの能力(capacity)の総体
  • 本質はカントの理論(自己律法 self registration)

2) 無危害原則  non-maleficence

  • 患者(もしくは第三者)にとって危害(harm、またはリスクrisk)となるようなことはすべきでない

3)恩恵原則

  • 患者(もしくは第三者)にとって恩恵となることはするべきだ

4)正義原則 justice

  • 公平とは、分け隔てなく平等に患者に恩恵を与えるべきだ、という考え方。医療では患者に分け与えられるべき資源(resource:ヒト・カネ・モノ)が限られていて、それをどんな考え方に基づいて配分すべきなのかが問題になる。
  • 公正は、おもに決め方のルールに関わるもの。
    例えばスポーツでは勝敗をルールに基づいて決めるが、そのルールは、勝負をする前に、あらかじめ対戦者が納得できるようなものでなければならない。医療資源のように、必ずしも均等に配分することができない問題についても、誰もがそれなりに納得できるルールをあらかじめ定めておくこと

5)尊厳原則 dignity

  • 尊厳(dignity)とは、人間やそれ以外の存在に道徳的地位を認める概念
    容器に入ったものを持ち運ぶという場面を考えても、それに尊厳を認めているか否かで、扱い方が異なる。
  • 医療の中で、患者の尊厳が保たれているかどうかという視点は、非常に重要。
    検査一つとっても、裸にされて人目にさらされた状態で受けるのと、プライバシーが保たれた状態で受けるのとでは、患者の感じ方は大きく違う。

6)不可侵原則 integrity

  • 不可侵性(integrity)とは、人間が介入、改変すべきでない生命の核心部分を保護すべきであるという原則
  • 尊厳ある生命には、身体的および精神的な基本的条件があり、それを外部から改変してはならないという考え方。
  • 不可侵性の背景には、尊厳を持った存在には、何らかの生の一貫性・統合性(coherence)があり、それを尊重し保護しなければならないという考え方がある。人間に関していえば、経験や記憶によって形成され、ナラティヴ(物語)として語られうる一貫性

7)弱さ原則 vulnerability 2つの意味がある。

  1. 生命をもった存在の弱さ。「考える葦である」というパスカルの言葉が示すように、人間は豊かな知性を持つとしても、その身体は簡単に損なわれてしまう。ヨーロッパの学者は、これを人間の道徳的な条件として捉えた。弱い存在であることが、人間の道徳を成り立たせている、という見方。
  2. 弱い存在に対して手を差しのべ、保護する義務がある
    弱い存在とは、自律、尊厳、不可侵性のいずれかを脅かされている存在のこと。例えば身体や精神の機能低下によって自律が低下した患者には、それに応じた支援をし、患者の自律を少しでも向上させことが医療従事者や社会の義務だという考え方。

2-2. 手順論 procedure-based approach

 臨床の領域でもう少し具体的に考えようという流れ。上記のながれでいうと規則や十差の判断・行動レベルで考える。クリニカルエシックス。
医療における倫理的問題は、個人の問題でもあるが、医療者集団の意思決定でもあり、患者・医療者・家族による意思決定でもある。
 参照できる標準的な手順が求められるようになった。ガイドラインが流行っている背景は、当事者に任せて責任をもたせているうちに、当事者のプレッシャーが多くなった。手順となりうるものとしては、法律、倫理綱領、ガイドライン、クリニカル・パスなど。

2-3. 物語論 narrative based approarch

原則を患者の人生の物語りに置き換えて考えるのが物語り論

原則論「患者に危害が及ぶか」  害するなかれ
手順論「×の患者に△を投与すると患者に副作用が生じるか」  言語障害、聴覚障害
↓両方にかけている視点は、
物語論「その患者にとって危害とは何か」(人生の文脈)  コーラスができなくなる、仕事ができなくなる

原則論ではharmを考える。医療者の文脈で考えるのが手順論(標準化された患者像で考える)。患者の文脈で考えるのが物語論(ライフヒストリーの視点)。

<視点の重層化、相対化>

  1. 医師の物語
  2. 看護師の物語
  3. 患者の物語
  4. 家族の物語
共存するこれらの物語の間の不調和で問題が起こっているという考え方。

どうやって「物語の不調和」を調停するか。

  • 同化(assimilation)と解消(dissolve)
  • 同化:保健師の物語に患者が説得される
  • 解消:保健師とやりとりするうちに、なじむ。

3. 医学・生命科学領域の研究倫理

●研究の目的は、
治療的研究では目的は、患者への恩恵(直接的な)(therapeutic study)
非治療的研究では目的は、科学的探求

人体実験など悲劇的な歴史を背景として、
→医学実験の被験者の権利
     →悲劇的な事件
       →患者の権利

 治療的研究と非治療的研究で、ハードルを変えてきた(評価の基準が異なる)。治療的研究のほうがハードルが低い。いい例はクローンである。生殖的クローニング(reproductive human cloning)と治療的クローニング(therapeutic human cloning)で基準を変えてきた。

●研究の対象:人間と人間以外






Q&A:

1. アジア的原則
Q:アジア的な原則は医療倫理の中で議論されているのか。
A:坂本百大氏などが感心を持ってアジアの生命倫理学会を作って10年ほど活動している。坂本氏はアジア的価値を強調していたが、それに対する批判もあった。アジアの価値観を言う場合、アメリカの生命倫理は自己決定権偏重であり、アジアでは他人への配慮や自分を抑制する考え方が強くそれを尊重するべきだということがいわれたのだが、それに対して、それは欧米でもコミュニタリアニズム(共同体主義)もあり、共同体の中での調和や共同体での価値があって個人が判断できるという考えがあり、アジアの価値をそういう共同体主義で代表させていいのか、という批判があった。東アジアでは確かに自己決定権偏重をアメリカの論調を評する人が多かったかとは思うが、では、どうやって共同体の価値、家族の価値などをどうやって実現していくかの方法論を詳細につめることができなかった。もう一つの批判は、歴史的背景のうといのではないかということ。患者や被験者という弱い立場におかれてきた人たちが人権が踏みにじられてきたということへの反省から出てきた英米倫理に対して、アジアの価値観を言うような議論はそういう歴史への反省が十分でない(らい病など)。

2. 倫理教育
Q:技術者に対する教育に関心をもっているが、日本の医療従事者への教育はどのような教育がされているのか。原則論か、手順論か、物語論か。
A:この3つの平行が大切である。根本的に考え、現場で話し合う技術・力をつけるために原則論にも力をいれている。物語論が喜ばれている。シナリオやロールプレーも使ったりする。プレイの中で問題がリアルにわかってくる。人間は具体的なのほうが理解しやすいから教育効果がある。

3. 英米型とヨーロッパ型
Q:英米と欧は違うということが私の経験でもあった。WTOなど。技術者倫理と医療倫理もその意味で同じ問題を抱えているとわかり興味深かった。英米型と欧型では調停ができるものなのか。
A:これは倫理学を越えるかもしれないが、生命倫理等の法律はこれらの原則をもとにつくろうということになった。しかし、原則が違うと作られる法律も違う。英米原則だと大分ゆるい規制になるし、欧型だと厳しくなる(ゲノムについての特許)。規制が国によって違うと、患者はゆるいところで治療を受けたり、研究者はゆるいところで研究をしたりするようになる。これらの問題にどうするかを何かをいえる方法論を生命倫理は今もっていない。グローバルな問題をどう捉えるかは複雑だ。医療や保健について「国」という枠組みをどう考えるか。税金を納めその中でサービスを収める国民。人の流動をとめるべきではないかもしれないのでもっとグローバルに考える。さらに途上国も出てくる。今後の問題。基本、方法論は合意できるようでなければならないと考える。

4. ヒポクラテスの誓い
Q:ヒポクラテスの誓いについて聞きたい。ヒポクラテスの誓いは、医療者の頭の中に入っているものなのかどうか。
A:ヒポクラテスの誓いは医療倫理の最初といわれるが、これを暗記している学生は皆無に近いだろう。どういうことが書いてあるかを知っている人も少ないだろう。医療倫理教育においては、ヒポクラテスの誓いを相対化して教えている。現代の倫理と共通点を相違点がある。一番の相違点は、自律尊重原則がかけている。ヒポクラテスの近い歯パター名リズムの象徴と考える人もいるくらいなので。
Q:では現代の倫理綱領は頭に入っているのか。
A:手順論の話だが、手順を暗記させるよりは原則的な考え方を学習させるほうが効果的と考えている。個々のケースに原則を適応して考えられねばだめ。だから、倫理綱領を暗記させるような教育は進めたくない。
Q:ヒポクラテス誓いにある医はお金をもうけるためでなく、仁術だということを教えてないのか。
A:日本の医療では、医師は算術をしてはならないという教育が強すぎるという批判さえある。現実に医療費の問題とかがある、そういうことにも目を向けるべきということ。
Q:私が聞きたかったのは、そういう経済か仁術かという議論をしているのかということである。

5. 生命倫理と仏教
Q:私は環境倫理をやっているが、倫理の中にはキリスト教がバックグラウンドがあると感じる。仏教には違うよさがある、アジアの生命倫理ではまた違うものがありうるのではないか。
A:少なくとも欧の4原則を議論したときも、欧の中での宗教の多様性を認めるという議論の中で出てきたものではある。東洋でといった場合、私の感想に過ぎないが、仏教や儒教では体に人間がどこまでタッチしていいのかは規定していないのでは? 日本人は遺体であっても五体満足であることを望む民族だが、インテグリティに対しては、あまりやるべきでないという価値観を仏教や儒教ではあまり規定していないのではないか。