第15回ECTM 国際理解と道徳性心理学

大西文行
(放送大学大学院 客員教授横浜市立大学 名誉教授)


私は、自らの活動において、道徳性とは「自分自身や他者の幸福であるとか福祉にいかに貢献できるかという資質を形成することである」と定義づけている。道徳性すなわち、自分と他者との関係の中で自分をどのように考え、ほかの人をどのように考えていくかという姿勢や考える資質を形成することが国際理解の基本であるという考えで、本日の講演を行いたい。

国際理解の方略としては、以下の2つがある。Education for International Understanding(国際理解教育)とUnderstanding Individual Difference(個人差理解)である。国際理解教育の任務)は、グローバル化時代において、人類がいかに共生(to live together)してゆくかについて妥当性のあるモデルを提供することだが、具体的には4つの柱がある。

1)Learning to know(知識)
2)Learning to do(行動)
3)Learning to live together/with others(共生)
4)Learning to be(存在)

日本では、知識の教育は大分行っているかもしれないが、行動となると不十分である。たとえば、ボランティアであるが、大学受験に有利だからボランティアをするというのは、本当のボランティアではない。ほかの人の幸福のためにコミットメントできる喜びがボランティアの本質である。

「共生」の3側面

 共生には3つの側面がある。一つ目は、自然との共生である。心理学的にはハワード・ガードナーが、8つの知能の中で「自然に対する関心」ということを言い出した。第2に、異文化間の共生である。他の文化や歴史について知るということである。「文明の衝突」(S.ハンチントン)という本があるが、世界では民族対立で殺さざるを得ない状況になっている地域も少なくなく、それをどう考えていったらよいかという問題である。第3に、個人間の共生である。これは日常的にできることだが、横にいるだけで快を感じるとか、その人のことを思いやるとかいうことである。教育の場でこのことにどう貢献できるか。まず、個人間の共生をベースにして、世界規模の中でグローバルな観点で見ていくような社会化教育をすること(第1の共生)、そして、異文化を単に対照的にみるのでなく、インボルブすることによってみていくような教育(第2の共生)として貢献できるのではないか。

道徳性心理学

道徳性心理学とは、「共生」について妥当性のあるモデルを構築するために、道徳性に関して心理学的側面から研究することである。Moral Psychologyといってもいいのだが、Morality Psychologyとあえて言っているのは、道徳性について我々が心理学的、哲学的、倫理学的に考えていくということを意味している。

「共生」自体が、道徳的に価値のあることであるし、また、異文化間においても個人間においても、共生を妨げる対立は価値の葛藤により起きるのであるが、それをいかに解決し統合していくかのモデルを提案するのが道徳性心理学ということでアメリカなどでは活発に研究されている。

 図で書くと以下のように表現できるのではないだろうか。

しかし、今はこれにさらに生物学的なBiogenetic観点も必要だろうということで、MPECBというようにBを加えている。道徳的な問題を考えるときに、人間の脳のどこが反応しているのかというような問題である。

民主主義

民主主義をどう考えていくか。絶えずどういう民主主義がよいのかについていろいろと考えることが必要である。価値的にいうと、絶対主義Absolutismと相対主義とRelativism多元論Pluralismという問題がある。私たちは、状況によって価値のウェートの置き方が異なる。Absolutismは、状況を超越をしたところでユニバーサルなものがあるという考え方、それから、Pluralismというのは、イギリスのバーリンが提案しているもので、各人が各様に思考方法を持っていて、それを互いに受容しながら、新しい価値、新しい社会を作っていくことが必要だという考え方である。

Western vs Oriental、Non Westernという問題もあります。アメリカ的な正義感ですべて国が成り立つという考え方は取らず、カルチャー、エスニックのDiversity(多様性)というものも絶えず考えていくことが必要である。頭の中に考えていくことが必要。

それから、Market economyの考え方とComplianceの問題です。Market economyの考え方では、経営の学問、経済の学問を短期的な視野で身勝ちですが、長期的な視野ももっていくことが必要です。Complianceは、法的なものをどう見ていくかという問題です。

人格心理学者として有名なAllportはパーソナリティの生成Becoming、すなわち、個人は遠大なる価値目標をもってそれに向かって行動しているのだということを言っています。Mishelも、各状況の中で、どういう具合にどのような目標を持つかが重要だといっています。企業の観点、経済的な観点でなく、個人の人生のゴールの問題です。

個人

道徳的な人格Moral Personality、品性Character をどう見ていくかという問題があります。道徳教育の場合には、品性教育Character Educationということを言います。Personalityの中核になるものは意志、意欲willpowerまたはself-control(自己を統制する力)、それから自分自身を統合integrityしていくこと、道徳的なwill意志や願望moral will or moral desireがコアになります。その目標に向かってわれわれは追及をしているのである。

Cool/Hotという問題があります。Coolとは理性的に物事を考えるということで、Hotとは感情的な側面をさします。Hotになっても、自分でクールダウンできる能力すなわち認知的に自分で処理する能力があるわけですが、これはコロンビア大学のMischel が一生懸命やっています。

道徳的アイデンティティ

結局、自分自身は何であるか、という問題です。道徳的に自分が善をなすということが必要なわけです。

道徳的な自己-self in the relation to others

道徳的な自己を自分自身で考えるのではなく、ほかの人との関係で考えていくということが大切である。自分自身だけで生きているのでなく。ほかの人との関係の中で生きているのだということを、道徳的に考えていくかということである。

自己統御

Self-controlと同義であるが、自分を同調性していくということ

道徳的関与

 道徳的な問題についてどのくらいかインボルブし、関与していくか、自分がやったことがほかの人にどう影響を及ぼすか予見して自身をコントロールできるようになることが必要である。

寛容

 他者に対していかに寛容の精神をもち、過去を許していくか。それらのことを人格という問題の中では考えていく必要がある。

個人的な意味

個々の事象を個人自身の生涯においてどのように意味づけしていくか。(カウンセリングでのロゴセラピー)。ビクトル・フランクルは、強制収用所の中で、解放された後にこの経験を精神医学の観点から論文にまとめるのだということを目標にして生き延びた。現在の苦しいことを将来との関係で意味づけをするから生きていける。高齢者も、人生の目標や自尊心があるうちは長生きできる。

メタ心理学

自分の無意識に気づいていくことも重要です。

環境

環境の問題としては、人間同士の関係性Interpersonal relationや関係性における戦略Interpersonal negotiation strategyという問題があります。ハーバードロースクールのFisher や同大学の教育学のSelmanが研究をしている。

社会の中でいきていれば、他者や社会からのプレッシャーがあるが、そういうものにうまく対処する能力をつくっていく必要がある。また、それをサポートし、アシストするようなシステムが必要である。ソーシャルネットワークのサポートをどのくらい作っていけるかということです。

それから、メディアの問題です。事件が起こると、テレビのどの番組でも同じことが流れる。すると、子どもたちは、この世にそれしかないような錯覚に陥ってしまう。スタンフォード大学の-Bandura が取り組んでいることであるが、テレビへの子どもへの影響を考える場合に、好ましくない番組を廃止するのでなく、どのように子どもたちに変換をしていくか、親が介入していくかという課題がある。

認知

 認知的な問題は、道徳教育や道徳性心理学の中でメインになっている。データが出やすい分野である。道徳的な理由付け、道徳的な判断Reasoning, Judgmentということに関して、KohlbergはMoiral Judgement Interviewを、ミネソタ大学のRestはDefining Issues Testを、GibbsがSocial Moral Reflectionを、LindがMoral Judgment Testをそれぞれ開発し研究している。  認知の中では、Domain theoryというものがある。バークレーのTurielは、PersonalなものとSocialなものとTraditionalなものと道徳的なものといった領域ごとに我々は判断基準が違うということを言っている。それに対して、Haditは、認知的直感ということをいいます。認知的な直感と感情的なものがある。

メタ認知-PERT 行動分析

メタ認知とは、認知の認知ということで、スタンフォード大学で定年退職したFlavell(フラーベル)が言っている。ある計画を実行するときに、どういうポイントが必要か、どういうイベントが必要か、それを目標との関係で一つ一つのブロックを作っていくPERT(Program Evaluation Review technic)という のがある。たとえば、研究をスタートして、いろいろな事象をどういう具合にして分化していくか、そして最終的な目標に行くか。私が新潟にいたときには、こういうのを自分がどういうふうにチャートできるかといったことに力を注いでいた。うまくいかない人は結局、一つのことだけ考えていて、それに影響する要因についてはあまり考えないで、やめようとしてしまう傾向がある。

Flavellは、結局、あることを実証するためにどういうことが作用しているかということを考え、それを自分で統合していくという。心理学では行動分析、動作分析、Action Analysisという分野がある。

 

道徳的価値、自己、環境の認知: JustCommunity:Kohlberg

それから、Cognition of Moral Values、Self。認知的なものを考える場合でもJust Communityという考え方がある。学校教育の中では、先生は「各人の努力を褒めましょう」などとうまいことを言うが、算数や理科で0点を取ると「今度は頑張ろうね」と言えばいいのですが、「これはだめだ」という具合に評価してしまうという矛盾がある。子供はそういう矛盾について気づいていく。そういう社会は好ましくないということである。

生物学

最後に、Biologicalな問題である。Disposition、Temperament。心理学ではジェローム・ケーガンが、気質ということを指摘している。子育てをするときに、はじめから静かな子供と暴れてしょうがない子供がいるように、生まれたときからの気質がある。そういうものをいかにコントロールし、うまく処理していくかによって将来のPersonalityが変わっていくのだと考える。

 最近ではブレーンの研究が進み、人がある種のこと(人を助けるとき、道徳的な判断をしているときなど)を考えるときに脳のどの部位が働いているかの研究が生物学分野で進んでいる。教育分野での関心としては、その道徳的判断をする脳の部位を活性化させるのはどうしたらよいかということに関心がある。心身症という病気があるように、身体と心はつながっている。

 心身症に対処するのは、MediationとかAutogeneticなものである。九州大学の成瀬先生は、自律訓練で温度調節をすることができるということを研究しておられ、上智大学におられた平井先生は、心臓がドキドキしている状況を機械を通して見ることによって自分の心理的な状況はどういうものかを知り自分をコントロールするというBiofeedbackを研究していた。Biologicalな要因というものは、単なる欠点ではなく、そういうものにいかにして人間として対処するかということも、道徳性心理学の中ではだんだんと注目されてきている。

おわりに

結局は、自分自身を考えるとき、その個人を教育したり理解をする場合には、ただ単に一人の問題ではなくて、生理学で言うシナプスのように人間のコネクションをつける。教育の場合には、こういうシナプス、結合をどんどん増やすことによって、チェーンを作ることができる。結局、人間というのはいろいろな層の中にいる。国家や地域、ファミリーの中にいて、その中の自分というものを発見をしていく。そうすることによって国際理解に貢献できるのではないだろうかということを考えている。

私のホームページのURLはhttp://www2.tba.t-com.ne.jp/fumi/で、その中で、道徳性真理学の理論を紹介するパワーポイントを今作成中である(http://www2.tba.t-com.ne.jp/fumi/MP.htm)。

 人はみな、ある文字を見たときどう詠むか、その言葉をしったときどのような気持ちがするかなど、その人が所属する社会のルールや文化あるいは個人によって決まった反応パターンがある。そういうものを自分自身でコントロールできるようにするのが道徳教育、道徳性心理学、倫理の問題である。そして、さまざまにあるそのルールや反応のパターンを受容して統合していくものを探っていくことが教育の問題であり、であるから、国際理解のために教育は大変重要なものなのである。






Q&A:

@道徳性の測定と評価

Q:道徳性の測定と評価の部分で出てきた方法論のうち、KohlbergやRestに関しては多少知っているが、GibbsのSMRとかLindのMJTを知らないので説明していただきたい。

A: AME(Association for Moral Education)でジャーナルを出しているのは日本とイギリスである。
 研究方法としては、KohlbergやRestは有名だが、Kohlbergを忠実にやっている人はわずかである。忠実にやるためには、1000ページほどの本を読む必要があるからである。Restのほうは比較的簡単な○×式なので使われている。SMRについては、Gibbsのオハイオ・ユニバーシティの場合は、道徳的な問題も重要であるがその以前の段階で社会的な道徳をまず習得すべきだという考え方で、我々が日常的な問題を扱う場合にアグレッシブな感情が起こったら相手に対してどういう危害を加えるかをジャッジできるような能力を育てるトレーニングであるアグレッション・リプレースメント・テクニックのときにやっている。Lindはドイツのコンスタンス大学の人だが、Kohlbergの道徳的なJudgmentに対して、選択肢をまず準備をして、この選択肢を選んだ場合にはどういうような発達段階にあるのだというものである。
 私どもはこういう測定を一応やってきたが、なるべく人々の発言全体を分析して全体をどう理解していくかということに関心があるのであまり好きではない。一応紹介をしておりますが、これらの方法では、測定において除外される側面が多いということで、そういうのをなるべく網羅できるような方法を今多くの研究者が努力して開発しようとしている。

A道徳性心理学という訳語について

Q:なぜ、Morality Psychologyの訳が道徳性心理学になったのか。

A:結局はPersonality Psychologyをコピーして、道徳性について心理学的研究をしたいということなので、道徳心理学でもいいのだが、道徳的な要素を心理学的に研究するのではなく、道徳性そのものについても探求すべきだというねらいであえてこの言葉にした。

B共生

Q:共生という概念は、海外でわかってもらえるだろうか。直訳はTo live together with othersだが、これでわかってもらえるのか。日本人エンジニアでアメリカの航空会社を再建したひとが一緒に汗水して働くという意味でworking togetherをいい、これがキーワードになった。これは、日本でいうところの共生に近いのだろうか。

A: 愛するというときに、「be together」ということがいわれる。愛のいちばん最初の段階では、ほかの人と互いにいて、そこで交流し合ってということである。「working together」は目標に向かっていくということだが、国際理解教育では、まず共にいる、互いに横にいても不快を感じないという部分を形成していくことを目指すのだと思う。

C日本の学会について

Q:外国の学会と交流している中で感じる、日本の学会のマイナス点やぜひ導入したい点はなんですか。

A:アメリカの心理の学会、教育の学会、倫理の学会と交流している。一番関心をもっているAssociation for Moral Educationでは、ホテルを借りて朝から晩まで議論をするとかいろいろ交流がある。その他、Eメールで意見やコメントを出して議論をしたりできる。しかし、日本でそういく交流がないのが気になっている。

D道徳教育の流派

Q:道徳教育や道徳性心理学の流派について伺いたい。国際理解と共生、Negotiation、Interpersonalな問題を考えていく流派と、例えば品性教育とかインカルケーションといわれるようなこれが正しいからそれを身につけていく価値観を身につけていくという流派とは違うのか同じなのか。

A:ある一つの流派をとって教育をしても、それが合う子どもと合わない子どもがいる。そいうはずれた人を手当していく方略を見出していくということを提案している。

E生物学的研究

Q:FMRIを使ったバイオロジカルな研究はまだ進んでいないという話だったが、どこもやっていないのか。それともある程度やられているのか。

A:2001年ぐらいから「Science」でようやく出てきたくらいで、世界的にもそれほど多くない。世界的にもまだ7つくらいしか論文がない。カリフォルニア大学ではやっている。日本でやると15億か20億くらいかかるようですが日本はお金がないので、カリフォルニア大学に留学して使うとか、医学部とタイアップしてやるとかするといいだろう。

F親の教育

Q:先生のお話は、道徳性心理学といよりも心理教育学という印象を受けたが、道徳性心理学が別途あるのか。WHOがいうSpiritualityという問題は道徳性心理学の中では位置づけられるのではないか。教育の問題も、現在は子どもよりはむしろ親が教育の対象なのではないか。

A:私は社会教育もやっていたが、子どもを親がサポートできるシステムづくりなど社会教育と学校教育をオーバーラップしてやるべきだと考えている。子供を地域の中、環境の中で見ていくということが心理学というものには重要であろうと考える。教育の場合には、道徳的目標がみんなで合意できるかどうか、そういうような社会システムを作っていかなければいけないのではないかということも考えて話をした。

G小泉首相と道徳教育

Q:小泉首相が心の問題などについて時々発言するのを聞いて問題を感じる。それについてどう考えたらよいか。

A:小泉さんが、ほかの人からどのようなことを期待されているかを十分に理解芝ければ生けないと思う。その場で何が要請されているかを考える能力、それが最初に述べた認知的な能力だ。