第11回 Ethics Crossroads Town Meeting

2006年2月17日(金)
金沢工業大学 虎ノ門キャンパス

公益通報者保護法と内部告発

奥山 俊宏 氏(朝日新聞社宇都宮総局 次長)

内部告発者の現実 ―医師の立場から語る―

打出 喜義 氏(金沢大学病院産婦人科)

公益通報者保護法と内部告発

奥山 俊宏 氏(朝日新聞社宇都宮総局 次長)

1.はじめに

 私が社会人になったのは、バブルが絶頂だった平成元年(1989 年)のことで、バブルはその翌年の平成2年(90 年)に崩壊を始めまして、日本経済は右肩下がりになっていきました。そうした時代を背景にして、金融機関の不正融資、背任、あるいは不良債権、粉飾決算、役所との癒着などの問題が表に出てきた。私は主に社会部の記者として、経済事件を取材する機会がありました。

 取材の過程で、私どもは、会社なり役所なりの組織の人に対し、個人宅に夜や朝に伺ったり、あるいは、仕事の帰りを駅や道で待ち伏せたりして、水面下でアプローチし、何とか内密に話を聞き出そうとするわけです。先方から「きちんとした説明をしたい」ということで、――それは内部告発という側面もあるのだと思うのですけれども――、内部の人からインサイド情報を聞くことができ、それをもとに記事にした、ということもありました。

 「内部告発者保護」というのがテーマとして面白いのではないかと考えて同僚とともに取材を始めたのは2002 年のことでした。2002 年10 月に朝日新聞の紙面で「自浄のホイッスル」というワッペンをつけてシリーズ記事の掲載を始め、そういう記事をだいたい半年ぐらいで30 本ほど出しました。そのうち私の記事をまとめたのが、先ほどご紹介いただいた『内部告発の力』という本です。

 きょうは内部告発者保護(公益通報者保護)というところを縦軸の話として、それにからめて、(1)ウソはなぜ厳しく糾弾されるようになったか? =適時・適切な情報開示、説明責任への要請(2)だれへの忠誠なのか? だれのために働くのか? =コンプライアンス、株主主権への目覚め(3)組織の統治(ガバナンス)という視点の登場=リスク管理、相互牽制の必要性の認識――という三つの観点をいわば横軸にして話していきたいと思います。


2.ウソをつくということに対する風当たりの激化

 不正・不備・不祥事(第一次的な問題)そのものより、むしろ、それらを隠すこと、ウソで取り繕うこと(第2次的な問題)がより大きな不正・不祥事であるとみなされる傾向が強まっています。そういう傾向が強まっていることが背景となって、内部告発、内部通報への関心が高まってきたのではないかというのが一つの問題意識です。

 昔は、たとえば、政治資金収支報告書にウソを書いたとか、企業の有価証券報告書に虚偽を記載したとか、あるいは、ライブドア事件などで問題になっているように不正確な情報を発表して投資家をミスリードしたといったような不正は「形式犯」軽い犯罪に過ぎないと一般にみられていました。しかし、90 年代後半以降、それは変わりつつあります。

 行政当局にウソを報告したこと、市場に対してウソ情報を流したことに対する司法の対応の峻厳さはここ10 年でとみに高まってきたといえると思います。

 大和銀行のニューヨーク支店というところで、今から10 年ちょっと前に、エグゼクティブ・バイス・プレジデントという地位にあった井口さんという人が、銀行のお金を勝手に使って、帳簿外でいろいろなトレードをやって大損を出して、それを隠していたという事件が発覚しました。井口さんが捕まるのはしょうがないことだと思うのですけれども、大和銀行自体も罪に問われました被害者であるはずの大和銀行が何の罪に問われたか――。 井口さんから告白の手紙を得たときに、大和銀行は大蔵省からの指示で内密に事件の処理を行い、すぐにアメリカ当局には報告しなかった。そのことに対して、アメリカから罪を問われたのでした。

 三菱自動車という会社は6年前、それまで30 年近く車の欠陥に関する情報を隠していたということを暴かれました。欠陥車があるという一時災害に対して、隠すという2次災害が責められました。しかも、三菱自動車は運輸省からの調査が入ったとき、証拠書類を隠蔽したり改ざんしたりしました。また、責任者を処罰することをしませんでした。その結果、2004年になって2000年の発覚当初の社長が逮捕されました。

このように、以前とは比べものにならないほどに、ウソが厳しく糾弾されるようになったのです。内部告発する声が上がってきた以上は、それをもみ消したり、無視したりするということは、二次災害、三次災害を引き起こすことにつながり、それらは一次災害よりもはるかに大きな経営レベルの不祥事になるということが現在の認識の流れになってきました。


3.だれのために働くのか

 だれのために私たち会社員は働いているのか、忠誠を尽くすべき相手はだれなのかということへの疑問です。おそらく以前は何の疑問もなく、みんな「社長や上司のため」すなわち「会社のため」と考えられていた。しかし、それについての認識や考え方が非常に、多様化してきて、説明責任を果たすべき相手先、情報を開示すべき相手先が多様化し、拡散し、相対化されて、そこから内部告発への関心も高まってきているといえるのではないでしょうか。

 昔、千代田生命という生命保険会社で、常務取締役が、週刊誌に内部情報を漏らして会社は損害をこうむったので会社に賠償金を払えと会社から言われて、裁判の結果、会社が勝訴しました。しかし、情報を漏らした内容は、社長の不正融資や破綻的人事の問題でした。社内調査の結果、この社長の行為は会社に損失を与えてきたことがわかり、社長も会社への賠償命令を受けました。生命保険相互会社というのは一般の契約者がたくさんいて、その人たちが一種の株主、会社の主権者という立場にあるわけです。その人たちに会社の実態を知らせることが果たして会社に対する忠実義務違反になってしまうのか。社長の経営の実態は、保険契約者にとって、知らされるべき情報ではなかったか。社長を追い落とすことこそが「会社のため」だったのです。

 破綻した銀行とか金融機関とかの広報部の人に取材しても、破綻する前は、うちは不正をしていないと説明をし、破綻したあとは、新しい経営陣に協力して、「うちの旧経営陣というのはとんでもない不正をやっていました」ということを説明しなければいけない立場になるわけです。だれのために働いてきたのか、働いていくのかという問題を突きつけられます。

 破綻とか倒産とかの有事のときだけでなく、平時においても、広報部の人や内部監査とか品質管理とかの部門の人、広くは組織の構成員すべてが、だれに忠誠を誓うのか、だれのために働くのか、という問題を意識すべきということになるのでしょう。

 刑法に「とりもくてき」という言葉があります。「自己もしくは第三者の利益を図り、本人に財産上の損害を加えたときは、背任罪となる」という規定があり、この「自己もしくは第三者の利益を図り」というのを一口で言って「図利目的」と言っています。この「自己」というのは、会社の社長や役員、あるいは融資担当者などの任務者ということになります。「本人に財産上の損害を加えた」というときの「本人」とはだれになるのかというと、例えば銀行でいうと銀行そのものになりますし、会社であれば会社そのものになります。普通、背任罪で「図利目的」といえば、10 年ぐらい前までの感じでいうと、取引先からリベートを受け取って、その見返りに取引先によい条件を提示してやったというのが典型でした。一方、ここ10 年来、いろいろな金融機関の旧経営陣が国策捜査によって起訴されて有罪判決を受けていますが、彼らの有罪の根拠となった「図利」というのを見ると、リベートを受け取った事例、いわゆる私腹を肥やしたというケースはあまりない。大部分は身ぎれいな人たちです。サラリーマン経営者ですから、そんな悪いことはしていないのです。彼らが背任罪に問われた際の「自己の利益を図った」というのは何なのかというと、責任問題の発生を回避して自己保身を図ったということでした。それが背任罪における図利目的に当たると捜査当局や裁判所によって認定されています。これについては、そんなもので背任罪にするのは何か法の趣旨に沿わないのではないかという批判もあるようです。でも、現実には、これはほぼ認められて判例になっていると思います。ここ10 年ほどの傾向です。「追い貸し」という言葉があります。バブルのころに融資したのが、バブル崩壊で不良債権になり、会社も倒産しそうになっている場合に、これを倒産させれば、その会社もかわいそうだし、うちの銀行にとっても損失が表面化して大変な事態になる。そういうときに、将来いつかはまた景気もよくなってくるだろうから、今はとりあえず利息分についてはどんどん追い貸しをしていって延命しよう、先送りしようというのが追い貸しです。そういう追い貸しは、本人すなわち会社のためではなく、役員個人の私利を図った背任行為であるといえるか? そういう追い貸しに関与した人を背任罪で処罰していいのか? かなり微妙な問題だと思います。ここ10 年くらいの当局の捜査では、損失が表面化して会社がつぶれるのを防ぐために会社のために追い貸しした」というような容疑者の主張はたいてい退けられて、判決では「責任問題の発生を回避しようとする自己保身の目的によるものと推認することができる」ということで有罪となっているようです。

 先ほど、背任罪の規定に言う「本人」とは、金融機関ならばその銀行そのもの、会社ならば会社そのものであると言いました。その本人に対する背任があったかどうか判定する際に一つの要件となるのが、本人である金融機関や会社の財産上の損害の有無なのですが、その点については、お金の問題ですから、割と、本人のためになったか損になったかは判定しやすい。しかし、例えば公務員についてはどうなのか。「国家・国民のため」と政治家はよく言いますが、そうした政治家にやっていることが本当に国家・国民のためになっているかどうか疑問がかなりある。「お国のため」という言葉の意味も戦前、戦後で変化してきています。今の国民が幸せならばいいのか、将来の国民に対する責任はないのかなど、いろいろなことを考えることができます。

 技術者はだれに対して責任を負うか。これは札野先生の論文の中から引っ張らせていただいたのですけれども、さまざまな相手先を考えた上で、最終的には、パブリックの安全をすべてに優先させるべきであろう。

 法律で任務や使命を決められている職種があります。たとえば、弁護士は、クライアントのために働くという契約上の義務がありますけれども、法律的には「基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」と弁護士法に定められています。クライアントが弁護士に対して、本当はこうなのだけれども、ちょっとウソの弁護をやってくれ、何か違法な書類を作ってくれといったことがあったときに弁護士はそれに従うのではなく、むしろ真実を裁判に反映させるよう努めるべきである。そう思います。公認会計士がクライアントの企業の会計監査にあたるとき、場合によっては、公認会計士はその企業の不正を明らかにして、株主に公開するように指導しなければなりません。報酬をもらっている相手先企業の恥部を明らかにするのです。それが、株主や市場、社会から期待される公認会計士の役割であり、公認会計士法でもそういうふうに定められています。

 何にコンプライすればコンプライアンスか?ということを考えてみます。「だれのために働くのか」というのを「だれの満足のために働くのか」「だれのどういう期待に応えるべきなのか」というふうに言い換えて考えれば、それはすなわち、コンプライアンス(compliance)の問題ということになります。comply with というのは、いろいろな法律であったり、社会の慣習であったり、ルールであったり、そうした規範を満足させる行動を採るという意味なわけです。それもまた、そう単純な概念ではない。例えば、新聞記者は取材源を秘匿しなければならない。私たちジャーナリストはそれを職業倫理と思っています。「あなたが内部告発者であるとは絶対に外には出しません」ということを約束して内部者から情報提供してもらうことによって真相に迫る記事を書くことができる。そのことが民事訴訟になることがありますし、刑事裁判になることもありますけれども、記者は、情報源はだれか、内部告発したのはだれか、ということについて証言を求められたときには、それは拒否しなければいけません。それは証言拒否罪という犯罪に当たるかもしれないのですが、ジャーナリズムの倫理としては、たとえ犯罪に問われようとも、証言を拒否する。それがジャーナリストにとってのコンプライアンスの実践であるわけです。ですから、法令遵守、法律を守ることがコンプライアンスだというふうに言いきれない面もあるのです。一般に公正妥当と認められる基準(Gap:Generally accepted principal)といいますか、一般に世の中に認められている基準というのが何かあって、それを満たすことこそがコンプライアンスなのではないかと思います。それは必ずしも法令に従うことではなく、そのときどき、その基準を考え続けなければならない。

 金融機関の経営者にしても、背任罪や追い貸しにしても、児童虐待にしても、政治家や公務員にしても、どういう規準にコンプライするべきか、ということが時代とともに変化する。そうした変化は、だれのために働くのかということについての考え方の変化と、裏腹の関係にあると思います。  内部告発に対する世の中の見方の変化も同じだと思います。密告という言葉はすごく悪い言葉だと思うのですが、内部告発にしても、密告にしても、現場のある情報を別の場所のある相手に伝えるという行為そのものは、ニュートラルな無色透明のイメージの行為だと思うのです。ただ、その意図や目的、すなわち、「何のために」という部分が違うのです。内部告発というのは、自分の個人的利益を犠牲にして、いろいろな報復を受けるかもしれないけれども公衆の利益のために働くというものです。一方、密告というのは、オフィシャルズの利益のため(お上のため)に、あるいは、全体主義国家のため、当局のために、自己の利益を目的としている。そういう違いがあります。独裁主義、独裁的な体制の国では内部告発者は弾圧されて密告者がはびこる。密告と内部告発は、行為の外形の一部を見れば、似た面もありますけど、概念としては、対極にあると言ってもいいくらいの距離がある。

 だれのために働くのか、何にコンプライするべきなのか、それらは一義には定まらず、さまざまな議論がありうると思います。そういう相対主義的な問題意識、忠誠を誓うべき相手に対する概念が多様化、相対化しているということを背景として、内部告発というのが以前より出やすい環境ができているということもできると思います。そういうことで、内部告発、内部通報のポジティブな面がクローズアップされているのかなと思います。


4.組織の統治(ガバナンス)という視点の登場

 今、ガバナンスの欠如ということがよくいわれています。コーポレートガバナンスという言葉、概念が流行しています。

 ずっと戦後、戦前もそうだったのかもしれませんが、日本経済というのは、ざっぱくにいえば大蔵省があって、その護送船団行政の下に銀行など金融機関が守られてあって、そのほかのいろいろな事業会社はメーンバンクのコントロールの下にあるというピラミッド型の構造で統治されてきたのではないかと思います。しかしご承知のように、護送船団行政もなくなりましたし、メーンバンクが事業会社を管理する力も小さくなりました。証券市場が発達したことによって事業会社が直接に市場からお金を取るようになった、銀行からの間接金融ではなくなったということでメーンバンクシステムが希薄化された。金融機関の破綻が相次いで大蔵省も解体されて護送船団行政がなくなった。バブルの発生と崩壊がそうした流れを後押しした。そういうふうにして戦後日本で長らく続いた経済の統治構造が90 年代半ばに消滅してしまった。

 それまでは、護送船団行政やメーンバンクシステムにより、銀行や企業はチェックされ、管理され、極端に言えば、統治されてきました。そうした統治(ガバナンス)が10年くらい前からなくなっていきました。統治がなくなったからこそ、さまざまな不祥事が表沙汰となり、金融機関の破綻が次々と起こったともいうことができると思います。そして、そうした戦後長らくの統治構造に代わって、言葉本来の意味のガバナンスが意識され、重要視されるようになってきたというのがあると思います。

 会社ならば、本当は株主総会があって、取締役会があって、代表取締役がいて、監査役がいて、相互に牽制・監視しあうという形で権力を分立させなければいけない。国家における立法、行政、司法と同じようにチェック&バランスを働かせなければならない。それが法律(会社法制)の建前なわけで、それを実態にしなければならない。コンプライアンスを意識した経営を行い、さまざまなリスクを組織全体で管理しなければならない。そんなことは昔の会社ではほとんど意識されていなかったと思いますが、ここ10 年ぐらいは、多くの企業や組織が意識しています。

 さらに言えば、もともと株式会社というのは欧米から輸入された仕組みだったこともあって、アメリカやイギリスなどのグローバルなスタンダードに合わせなければいけないという意識も高まってきています。そのようなことを背景にして、アメリカ、イギリスは内部告発者保護の制度面では先進国ですので、それを見習おうという動きが出てきているという面もあると思います。

 ご承知かと思うのですが、今、大手企業のほとんどで内部通報システムというものを社内のリスク管理、あるいはコンプライアンスのプログラムとして持っていると思います。

要するに内部通報者を保護して、内部通報を社内的に有効に生かしていこうという制度です。それらはガバナンスの一つの手段と位置づけられています。こういう動きが出てきて一気に広がったのが2000 年以降ということになります。というような90 年代半ば以降の潮流の変化を背景にして、公益通報者保護法が一昨年に制定され、この4月1日から施行されるわけです。



内部告発者の現実 ―医師の立場から語る―

打出 喜義 氏(金沢大学病院産婦人科)

1.はじめに
 斑目さんの「技術倫理」というホームページで「内部告発者」というところを読むと、「英語の“WhistleBlower”(ホイッスルブロア)すなわち『警笛を鳴らす人』を日本語では普通『内部告発者』といっている。『内部告発者』には内部の情報を外部に密告する人という負のイメージが「ホイッスルブロア」よりずっと強い。裏切り者という響きがあり、目的が正しくとも容認できないと考える人が多いのは事実であろう。欧米ではどうか。欧米でもホイッスルブロアも必ずしも組織から歓迎される存在ではない。しかし、組織が倫理にもとる行動をしているとき誰も警告をしなかったら、社会に害を及ぼすばかりでなく、結局は組織自体のためにならないことの認識は、残念ながら日本より欧米諸国のほうが進んでいるようである」とある。内部告発というのは組織自体のためであり、組織の非倫理的行動が是正されるならば、内部告発という手段はとらなくてよいものである。

 私が内部告発者といわれるようになったきっかけは、「人体実験と患者の人格権」という本である。私の勤めている病院で、患者さんに無断で臨床試験が行われていたという訴訟があり、2003年2月に地裁の判決があった。「患者さんに黙ってそういう臨床試験をすることはだめだ」という地裁の判決に対し、判決を不服として国が控訴した。事件の経過をぜひ皆様方に知っていただきたいと、社会学者の仲正さんに最初に接したのは地裁犯決意の前でした。医学部のそのような不祥事をもう少し全学的に検討していただければ、地裁の判決が出なくても内部的に収まるのではないかということも思い、仲正さんに相談した。仲正さんにも、法学部の中で努力はしていただいたが、結局もう裁判が始まっていて、もうすぐ判決があるから、まずは判決を待とうということになった。そこで判決が出た。国が提訴しなければ、こんな本は出なかった。
 1年ぐらい後に、「週刊文春」に記事を載せていただいた。タイトルは「教授は患者に無断で人体実験をした」。塩田さんに書いていただいた。患者に無断で人体実験をした教授と遺族の悲痛な叫びを聞き立ち上がった医師、大学病院に正義はあるのかというような内容であった。その2か月ぐらい後に「きょうの出来事」で放送していただいた。その後、「女性自身」の9月号にも、載せていただいた。「きょうの出来事」のリメイク版で「ニュースプラス1」で同年9月28日に放映された。

***ビデオ上映***

 本日の予定として、まず私が内部告発者になってしまったわけ、その背景、事件の概要、それから内部告発者の現実、そして内部告発者として申し上げたいことを順にお話しさせていただきます。

2.私が内部告発者になってしまった背景
 1994年11月に新しく教授が就任。1995年9月より、卵巣癌に対する「高用量」の抗がん剤とノイトロジン併用療法の臨床試験を開始された。抗がん剤の副作用で体の中の白血球が下がる作用があるが、このノイトロジンというのは下がった白血球を上げる薬である。
 事件の概要は以下のとおりである。1995年9月に、北陸GOGといって、金沢大学がメインで北陸3県の福井や富山などの病院がグループになって臨床試験が開始された。中外製薬株式会社からの依頼によるものである。1997年12月に患者さんは金沢大学病院に入院され、手術が行われた。98年1月に、患者さんは「高用量」の抗がん剤を投与された。患者さんのご主人が、自分の嫁さんがものすごくつらそうだということで、偶然ご主人と私の義理の弟が友達だったもので、その義理の弟を通して私に相談があった。プロトコールにのっとった臨床試験を当然していたので、ご主人もご本人も「高用量」ということをご存じだと思ったので、その旨をお話ししたところ、そんなことは聞いていないとの話。そこから事件というか訴訟が始まった。
 1998年の6月には、この病院にいるのはまずいということで、外泊するということで一時退院されて、そのまま戻らず転院した。そして11月にはあのようなお手紙を残されて、12月に亡くなった。北陸金沢は非常に保守的な地盤なので、そういう訴訟をするようなやつはちょっとおかしいやつだと思われがちな風土がある。そういうことで、患者さんの親類は訴訟には反対されていた。

3.GOGによる臨床試験とは
 臨床試験というのは、プロトコール、手順書があってそれにそって行われる。手順書の中には、例えば登録を集積する機関が書いてある。
 最初に試験の目的や対象症例などが書いてあり、これがプロトコールである。卵巣癌の最適な治療法を確立するために、今回「高用量」のCAPとCP療法をする、と書いてある。これは抗がん剤のどんな薬をやるかという頭文字で、文字が多い分抗がん剤の種類が多い。その中で無作為比較試験をし、患者の長期予後の改善における有用性を検討するということである。「あわせて『高用量』の化学療法におけるG-CSFの臨床的有用性についても検討する」と書いてある。抗がん剤の副作用として下がった白血球を上げる薬がG-CSFと呼ばれるもので、G-CSFといいますのはノイトロジンの一般名である。
 今度はノイトロジン特別調査IIの目的を見ると、IntensifyCAP/CP療法と書いてある。これは「高用量」と同じようなことだが、それにおけるノイトロジン注の投与タイミングを検討すると。ノイトロジン注併用により、本化学療法が完遂できるか否かについて検討するということである。「高用量」の抗がん剤なのでこのような白血球を上げる薬を併用しないと、白血球が下がって感染などしやすくなる。そうなったら抗がん剤療法は中止しなければならないが、このノイトロジンを併用することによって、本化学療法が完遂できるか否かについて検討すると。そのようなクリニカルトライアルとノイトロジン特別調査の目的が書かれていました。
 これは症例登録票と呼ばれるものである。上のほうは、どこでどのような人が症例登録されたか。骨髄機能、また肝臓や腎臓機能がある一定以上でなければそういう臨床試験の被験者にはできないと。要するに、臨床試験というのは、CAP療法とCP療法のどちらがいいかということを調べる試験なので、対象になる患者さんはある程度、均一でないとまずいの。それで患者さんの条件がここに書いてある。そして下のほうはいつ手術をされたかとか、化学療法がいつ始まるかとか。
 ここに書かれているのが症例登録先です。先ほどの様々な情報を入れて、このFAX番号のところに送ります。そうすると、「当症例は選択条件を満たします」とか、「当症例は選択条件を満たしません」とか、チェックが入る。もし症例登録を満たすということになれば、ここの症例番号が振られて、症例登録が終わったということになる。
 しかし、クリニカルトライアル卵巣癌(I)で使われた症例登録票の連絡先は、FAX番号しかない。同時に行われていたノイトロジン特別調査II(卵巣癌)の連絡先には、赤で囲ってあるように中外製薬株式会社と書いてある。しかしここの番号を見ていただきますと0120-776-336で、これはクリニカルトライアル卵巣癌(I)の症例登録票の連絡先と同じ番号ということになる。なぜこのクリニカルトライアル卵巣癌(I)のところに中外製薬と書いていないのか、疑問です。
 少なくとも、中外製薬が無作為抽出をし、この患者さんのCAP、CPへの割り振りをしていたわけだが、その症例登録先とノイトロジンの症例登録先は同じであるわけだから、(I)と(II)は不可分一体ではないか。

4.そのような臨床試験を行ううえで、説明や同意は必要か
 裁判で国は、このクリニカルトライアルというのは調査であるから、インフォームドコンセントは要らないと主張した。ところが、クリニカルトライアル卵巣癌(I)のプロトコールの2番目の6には、「患者本人またはその代理人に説明の上、同意を得られた症例」ということで、同意ということがきちんと書かれている。ノイトロジンの特別調査IIのプロトコールにも、同意を得られた症例ということが明記されている。加えて、ノイトロジン特別調査II(卵巣癌)のプロトコールのIIIとして、下線まで引かれて、文書での同意を得る、未成年者、または法定代理人、本人に説明ができない場合には、家族によく説明をし、文書による同意を得ると書かれている。つまり、文書による同意ということが明記されている。

5.金沢大学での臨床試験裁判における原告と被告の主張
5−1.『高用量』の抗がん剤について
 被告は、「高用量」というのは医者の裁量内だと。ところが原告は、プロトコールの中に「高用量」と明記されている。ですから、何はともあれ、プロトコールを書いた人まで「高用量」だと思って書いたのだから「高用量」なのだろうと。

5−2.ノイトロジン特別調査との関連性
 被告は、ノイトロジンの特別調査とは無関係だという。原告のほうは、不可分一体と主張している。あのプロトコールから見る限り、少なくともノイトロジンというのは抗がん剤で下がった白血球を上げる薬であるし、標準量の抗がん剤では必要がない人もいるが高用量試験ということで不可分ではないか、と。

5−3.IC(インフォームドコンセント)を要したか
 国はこのクリニカルトライアルは調査だから要らないという。原告のほうは、プロトコールにはインフォームドコンセントが明記されているのではないかと主張している。もう一つは、添付文書にはない用法、用量をやっているので、当然しっかりしたインフォームドコンセントは要ると。

 そのようなことで戦ってきました。
 この裁判は、インフォームドコンセントが要ったか要らないかというだけの裁判のように思われるが、それ以外のインモラルがあった。第一に、国から捏造証拠が出された、そして裁判では妙な意見書が複数出されたということである。国から出されたねつ造証拠としては、先ほどテレビでも紹介したが、2000年2月に、右側のような「当症例は選択条件を満たしていません」という登録票が国から出てきた。一方で、この今日の新聞にも出ているし私は以前からコピーをして持っていたので、7月にこのような症例登録がされたという症例登録票を出した。ですから、この裁判では、相反する症例登録票が裁判資料として提出されたのである。
 加えて、相反する症例登録票の一覧表というものも出てきた。症例登録票の一覧表とは、症例登録をされた患者さんに番号をつけて一覧にしてあるものである。乙18号証というのは国が2000年2月に提出してきたもので、当然この中にはこの患者さんと思われるかたはいない。右側は私がコピーして持っていたもので、ここに患者さんの場所がある。42番です。42番までのかたは全部、右も左同じです。
 症例登録票もそれらの一覧表も改ざんされていた。裁判の判決ではさすがに改ざんとは書かれていませんでしたが、後になって書かれたものだというような記載があった。

6.訴訟の展開
 1999年6月に訴訟が提起された。被告は国のみである。なぜ被告を国のみにしたかというと、例えば当の主治医や教授を被告にすると、最後までその非を認めずに裁判は長引くだろう、しかし国であれば、自分が悪いと思ったらそれで裁判はやめるだろうという、原告や弁護士さんの思いもあった。つまり、最初から和解の可能性を模索しながらの訴訟だったわけである。
 ところが、国は、2000年2月にねつ造した症例登録票を出してきて、あなたは症例登録されたといって裁判を始めたけれども症例登録されていないという症例登録票もあるし、症例登録一覧表にもあなたの名前は載っていませんよ、ですから、あなたの起こした訴訟は思い違いですよと言った。6月に提訴されて8か月後、裁判が始まってすぐぐらいのころに国がこのようなねつ造書類を出した。これは大変だということで、私がコピーしたものを出しました。
 原告の弁護士さんや原告のご希望もありまして、9月に私が病院長に和解を打診に行った。症例登録票とその一覧表をきちんと見れば、どちらが本物か分かるだろう、だからこのような訴訟を維持できるはずがないと。患者さんも弁護士さんもおっしゃっていたのは、「私は別に病院が憎いわけではなく、患者に黙って人をモルモットにするような体質というか、責任者というか、それがおかしいと思う」と。
 患者さんや弁護士さんは、何はともあれ責任者などがはっきり分かってちゃんと謝罪してくれればよいということで病院長に和解を打診しに行ったのだが、全然通じなくて、逆に原告が分が悪いから和解を打診しに来たのだろうという話になった。その後にノイトロジンの特別調査との一体性を争点化した。
 それから、2002年5月、7月に、京医師という主治医と私の証人尋問があった。最終準備書面でも、国は病院内部の対立を強調し、患者さんがインフォームドコンセントをされたかどうかという話はだんだんあちらに行ってしまった。そしてこの裁判は僕が仕組んだものだというような話になっていった。
 また、裁判で妙な意見書が複数出された。2001年、立派な肩書きのある先生から妙な意見書が出された。それには平成10年の時点、つまり患者さんが抗がん剤療法をされた時点においては、臨床試験の対象にはならないと。要するにCAP療法とCP療法を比較する臨床試験はもうないので、何ら問題のない自主研究というような意見書が出された。
 同年6月には、ノイトロジンの話というようなことで、うちの大学のセンター長の宮本という教授から、このような形で「打出医師の陳述書で言う『臨床試験』に該当しないことは明らかである」というような意見書が出された。6月28日には山口大学の教授から、「平成9年末に受診・加療した本件対象患者に本剤が使用されたとしても、保険適応範囲内であり、何ら問題視されるものではない」というような意見書が出された。
 そのような意見書があったにもかかわらず、金沢地裁は、他事目的があった場合には同意をうる義務があるということで判決を出した。つまりこの判決は、普通の患者でも、臨床試験の被験者になるときにはその旨の説明と同意は当然ですという判決だったのだが、それを不服として国は控訴したわけである。
 また研究期間についても、おかしな記載がある。ノイトロジンの特別調査の研究期間は平成8年6月1日から9月31日と書いてあるのですが、ここにノイトロジン特別調査症例報告という症例登録票が平成8年1月13日にあります。そのほかにも日付の捏造のようなものが出てきた。しかし、高裁はこの捏造については認定していない。
 そのような経過を経て、名古屋高裁でも、インフォームドコンセントが要るという判決が下された。

7.その後の動き
 私はインフォームドコンセント調査委員会設置のお願いをし、ハラスメント調査委員会への申し立てをした。
 インフォームドコンセント調査委員会設置のお願いというのは、平成17年6月12日に朝日の石川版に載せていただいたが、「IC調査委金大が設置」と書いてある。ただ、委員名は明らかにされていない。一応、「金沢大学は上告を断念したが、遺族側は評価できる点もあるが、不十分な点もあるとして、上告している」と。
 6月12日の新聞記事を受け、学長あての上申書を1月26日付で出した。その中には、1番として、ほかの患者さんからもインフォームドコンセントがあったかどうかを見てください、もしないような場合は、誠意ある対応を大学としては一刻も早くお願いしますと書いた。2番めとしましては、今ほどお話ししているような証拠が偽造であったと裁判所は判断したわけで、なぜそのような司法によって偽造と判断されるような事態が招来されたかの経緯を分かりやすく開示してくださいと。
 なかなか返事がもらえないので、しつこく9月20日にまた出しました。中には、公益通報者保護法の趣旨というか、「当該公益通報者に対し、遅滞なく、通知するよう努めなければならない」というようなことが書いてあるから、この法の精神にのっとり、遅滞なくご通知くださいますようにお願い申し上げますというような上申書を出した。
 10月14日、返事が来ました。あんなに一生懸命、上申書を二つも書いたのに、こんな愛想のない返事でした。
 それには、上申書の(1)について、要するにほかの患者さんにインフォームドコンセントがあったかどうかについては調査中、(2)について、要するにねつ造書類が出てきた経緯を明らかにしてくださいというようなことについては、裁判中の事項であり、現時点では回答できないということであった。

 もう一つは、インフォームドコンセント調査委員会というところにお願いしたのですが、その後、今年1月17日に公式発表があった。結局、インフォームドコンセント調査委員会を設置して調査をしたと。委員構成は5名で、委員長は中村信一、このかたは副学長です。このかたのお名前は出ているが、あとの方の名前はない。調査結果ですが、結局、インフォームドコンセントにかんして十分な説明および同意が得られたことを示す文書はなかったと。あとは、うちはりっぱな大学なのだというような話や、組織としての対応に問題はないなど、結局言い訳ばかりが書いてある。一応、提言というようなことでも書いてあるが、規律などを整備したり、規定等の周知をしたり、ICに関する教育をしたり、行動計画の作成を実施したりというようなことばかり書いてある。
 インフォームドコンセント調査委員会は、一つよかったのは、全例から文書による同意がなかったことは認めたということである。僕は大体分かっていたが、やはり大学として正式にこれを認めてもらったというのはよかったかなと思う。
 しかし問題点は多い。委員名が開示されていないので、責任が分からない。そして、ノイトロジン特別調査についての言及もない。つまり、ノイトロジンというのはわざわざ「高用量」にして白血球を下げ、そしてそれを上げるような試験ですから、言ってみれば患者さんにとっては非常に負担が大きいものなのです。
 もう一つは、ノイトロジンの特別調査というのは、保険の添付文書に書いてある以外の使われ方をしている。そういう意味では薬事法に引っ掛かるような試験なのです。そのような試験が同時にされていたということについての言及がない。さらに、裁判中に出されたねつ造書類、要するに2通の症例登録票とその一覧表についての言及もないということで、非常に問題の多い調査発表であった。
 ハラスメント調査委員会に申し立ての内容というのは、井上教授からの退職勧告があった。それから裁判で提出された陳述書、それもここに書いてある。
 また僕が破廉恥な投書をしたとか、医局員全員があきれ返っているとか、GOGを中止するように僕は教授にお願いしたのだが、いつ患者さんから相談を受けたのか甚だ疑問だというような陳述書もあります。
 臨床活動でのハラスメントというのは、図を示しましたが、赤いものは私がした手術、ブルーは私が指導した手術である。このトータルはうちの大学の産婦人科で、例えば年間100手術をしたとしたら、30例は私がしていた、私がかかわっていたというグラフである。これは98年、つまりそのような試験があって、僕が教授にやめてくれと言い出したころから右肩下がりになった。このようなこともハラスメントではないかと申し立てをした。また、他大学での講演妨害もあった。これは平成16年10月7日、鳥取大学から職員の出張についてという依頼が来たが、これも上司の判こがもらえない。平成16年度の山梨大学の学長からうちの金沢大学長あてに非常勤講師の委嘱についてという依頼もあったが、同様であった。また、収入でのハラスメントということで、このように収入推移を書いた。
 調査委員会の結論としましては、退職勧告についてはハラスメントと認定したと。それ以外の事項については、明確にハラスメントと判断することができないとのことであった。日常的な暴言というのは何らかの指導を必要としましたと。特記事項として、医局のハラスメント構造、それから教授の研究至上主義による患者軽視について指摘し、何らかの対応を必要としたと。要するにハラスメント調査委員会も、教授の研究至上主義や、それによる患者軽視というのは一応認めて、それについて何らかの対応が必要ということを学長に上申したらしい。大学の対応は、「『退職勧告』の行為について、学長から文書による厳重注意が申し渡され、合わせて『暴言』と『教授の研究至上主義による患者軽視』についても学長から直接指導が行われました」ということであった。
 そして、「この結果については、さまざまな点でご不満もあるとお察しいたしますが、大学として可能な限りの調査を行った上で、現行の規程その他を勘案し、このような結論に至ったことをご理解ください。大学としては今後もハラスメントの防止にできる限りの対策を講じていく所存です」と。「なお、以上の結果につきましては、関係者のプライバシー保護やハラスメント相談体制の趣旨の観点から、守秘について格別のご配慮をお願いいたします。万一、守られなかった場合には、名誉棄損や処分の対象ともなり得ることを申し添えます」。つまり、私がハラスメントを受けたといって、大学に設置されたハラスメント調査委員会に申し立てをして、調査結果を頂いて、それに不満があっても、もうだれにもどこにも何も言うなという話である。それでもう頭に来まして、お伺いを出しました。そうしたらまたこのような返事がありました。

8.内部告発者として言いたいこと
 まず、長すぎる裁判は何とかしてほしい。この裁判は1999年6月に提訴され、2003年2月に地裁判決が出るまで、3年8か月もかかっている。その後、国が控訴しまして、控訴審も2年2か月もかかっている。控訴審の場合は、実際的な事実認定はゼロ。新しく出てきたのはノイトロジンの研究中止、受託中止届だけ。その判決に2年2か月もかかっている。現在、上告中なのですが、あと何年かかるのか。「裁判の迅速化に関する法律」というものもあるし、声を上げていただきたい。
 大学は上告をしなかった。患者は上告した。それはなぜかというと、臨床試験の被験者にするときには、患者さんからきちんとインフォームドコンセントを取らなければだめだという判決を出したにもかかわらず、臨床試験の内容、つまり抗がん剤の量が多いとかノイトロジンの予防投与をするというようなことは、患者さんにお話をしても、量が多いとか少ないというのは難しいから言わなくてもよい、それは医師の裁量だというような判決であったからである。患者としてはかってに「あなたは卵巣癌ですから、抗がん剤をやりますよ」「はい分かりました」といって判こを押したら、普通は抗がん剤の量は標準量だと思いますが、それが医者の裁量で「高用量」を投与されて、ものすごく副作用がひどい。それは幾ら何でも患者としては承服できませんと。そういう意味で上告した。
 そして、ねつ造書類に対しても、もっと厳罰化してほしい。
 しかし、ここに『カルテの改ざん』という本を持ってきましたが、裁判の中で改ざんした資料が出された場合は、原告のほうはもうお手上げなのである。今回の場合は、たまたま僕が内部者としてこういう本当の資料を持っていましたから、「あんたの出してきたのはおかしいやろ」といって出せたわけだが、医療裁判というのは密室で行われているから、改ざんがあった場合は患者さんはお手上げである。ですから、そのようなカルテの改ざんや裁判資料の改ざんなどで煮え湯を飲まされるような医療過誤の患者さんはたくさんいる。
 少なくとも医療裁判における改ざんというのは、普通の民法上の争いで出てくる資料の改ざんよりも、もっともっと悪性度が高いと。ぜひ公論していただきたい。
 最後に「国や大学は内部告発者に対しもう少し誠意ある態度で臨んで欲しい」。インフォームドコンセント調査委員会も、あんな変な内部調査しかしていない。ハラスメント調査委員会もあんな文書による厳重注意しかしていない。
 最後の控訴人指定代理人だが、これは平成16年11月1日付の高裁の最終準備書面です。ここに控訴人指定代理人というのがこのように並んで書かれているが、この最終準備書面の中にこのような文言がある。
 「打出医師の説明は、これまで詳細に主張したとおり、全く医学的根拠を欠くものである。医師が医学的根拠を欠く自説を述べることは常識では考えられないが、・・・」「和枝に控訴人病院産婦人科に対する要らざる不信感を抱かせて苦痛を与え、本来受けていれば2〜3年の延命が十分期待できたのに、放射線療法を受けさせず、和枝の死期を早めたのは、むしろ打出医師の欺瞞に満ちた説明のためであるといわなければならない」。こういう文言が最終準備書面の結語のすぐ上のここに書かれている。これは非常にひどい話だと僕は思っているが、皆様がたはいかがでしょうか。
 この4月から公益通報者保護法というものが施行されるようである。「内部告発の目的は組織の非倫理的行動の是正であり、それが達成できるなら内部告発という手段をとらなくてすむ」。もし組織に非倫理的行動がなければ、内部告発もなくなる。
 1月20日に「週刊金曜日」という雑誌に、「『人体実験』と患者の人格権」の書評を載せていただきました。この最後のほうには、「厚生労働省および国会関係者は、今、改めて本書を読み返し、詳細な分析を行ったうえ、消費者としての被験者保護の観点から薬事法、医師法の改正につなげていくべきである。さまざまな立場の人がそれぞれの立場で何ができるのかを考えさせられるはずだ」「患者が知らされるべきを知らされ、持つべき決定権を持つ。それを当然と考える医療者がのびのびと仕事できる環境を整えることは、本書から社会へ向けられた宿題である」。こういうようなことを書いていただいている。
 臨床試験というのはお薬の根幹である。その根幹の臨床試験がそのように患者さんのインフォームドコンセントもないようなところから出てきたような薬であれば、変な薬害などが出ることも多分あるだろう。そのようなところをもう少しきっちりしていかなければいけないと考える。内部告発者の現実ということでお話しさせていただいた。私の気持ちは、まだこんな冬の金沢というような感じだが、早くこういうすがすがしい気持ちにならないか、と思っている。