科学コミュニケーション教育実践―専門能力から“超”専門能力を育むアプローチ
林 衛 hayashi@scicom.jp(科学編集者・ジャーナリスト)
1.はじめに
これまで、大学院の教育では、“狭く・深く”専門をふかめる教育が行われ、論文生産能力ですべてが評価されてきた。しかし、現代社会において、そのような教育だけでは,専門家になるためにもジャーナリストになるためにも十分でない。“狭く・深く”でも“広く・浅く”でもない、“広く・深い”科学コミュニケーション能力が必要であり、そのための科学コミュニケーション教育が必要である、という話をしたい。
科学者技術者のキャリアパスでは、アカデミックな場所(大学など)で研究をするというのがキャリアの最高峰と考えられてきた。しかし、現在は、社会が複雑化し、もっと多様な活躍の場があると考えられる。
これまでの科学コミュニケーションは、一般論と自分の専門しかしらないという画鋲形コミュニケーションスタイルのヒトが多かったが、今後は、円錐型コミュニケーションが重要である(図1)
近年、科学コミュニケーションへの注目があつまり、政策課題ともなっている。科学コミュニケーションの4本柱は図2のとおりである従来のものだけでなくて新しい活動も始まっている。科学カフェなどがそのよい例である。
科学コミュニケーションにおける重要な課題の一つとして、欠如モデルからの脱却が言われている。欠如モデルとは、専門家や政府が知識をもっていて、市民は何も知らない、だから市民に欠如した正しい知識を与えていくのが科学コミュニケーションであるという考え方である。科学者、産業界、政府、市民が双方向的にコミュニケーションをしていくことが重要と考える。
ヨーロッパで一番売れている科学雑誌であるの編集長ゲーテ氏は、双方向・多方向の科学コミュニケーションが科学を育む、双方向性の条件とは,「お互いが変わりうる」こととした。
科学ジャーナリズムにおける4段階があって、日本の新聞の科学記者などは1,2かせいぜい3までが自分の役割と思っているが、イギリスの『Nature』などは創刊時から4をやっているとも言われている。
- 科学ジャーナリズムは正しく伝えているか(⇔その専門からみて正しくない).
- 科学ジャーナリズムはわかりやすく,あるいは楽しく伝えているか(⇔むずかしくて,不適切だ!).
- 科学ジャーナリズムは批判精神をもつべきだ(⇔それがなく,科学の宣伝ばかりしている).
- 科学を育むのが科学ジャーナリズムの役割だ(というところまで行くのは少なく,むしろ反対する人も.ちなみに『Nature』は創刊時からこれをやっている).
たとえば、神戸の大地震に関しても、研究者のレベルでは研究が進んでいたが、社会の中で備えがなかった。日本の理科教育では、科学から社会性を全く脱却しようとされてきたが、科学ジャーナリズムや科学コミュニケーションでは、科学知識を伝えるだけでなく、それをもとに社会の仕組みを考えていく必要があると考える。
2.科学コミュニケーション教育の対象
@一般社会人として
- 科学の体系に沿った理科教育とはやや異なった新しい科学教育のアプローチである。現在進行形の科学研究や科学技術によってもたらされる科学の社会問題を切り口に,科学についての判断をもったり,自ら知識を深めたり,参加や対話の機会をつくりだせるようになる。
A 専門職1:研究者になると
- 専門論文執筆能力が高まる
- 社会への“アウトリーチ”活動のコツが身に付く
- 異分野間コミュニケーションが巧みになる
B 専門職2:科学コミュニケータへのキャリアパスが開ける
- 企業や研究機関の広報担当者
- 教育者
- 科学ジャーナリスト
- 科学コミュニケータ(狭義) などへのキャリアパス
科学者の科学はなれともいうべき状況がある。日本では一般向けの『ニュートン』は売れるが,科学者などの科学教育を受けた人向けの総合科学雑誌,『科学』や『日経サイエンス』が堅調とはいえ,苦戦している。いっぽう,技術雑誌は多様なものが出版されている。科学者は、自分の分野以外の科学への関心が低いと一般にいわれ、「科学者の科学離れ」を克服できる科学コミュニケーションが求められている。
日本の科学者は科学書を書くことに熱心でないかというと、それはなんともいえない。例)講談社ブルーバックスの40年
3.科学者は万全で,市民が無知か―堺市0157カイワレ大根事件
みかけの「パニック」がおこるのは,市民の知識が少ないためではなく、専門家や行政を含め,事実が十分に調べられず知られていないからである。このときには、細菌生態学の基本である感染ルートが理解されていなかった。
厚生省 → マスメディア→ 消費者・販売業者と情報が伝わったが、基本的な考え方の提示ができず,一部の断片的な情報だけであった。その中で、報道の内容を理解し,危険回避の行動をとった消費者・市民、プレス向けに発表された情報を,右から左へと“正しく”伝達したジャーナリズムがいてパニックが起こった。本当に必要な科学を育むための議論の豊かさを欠いた
科学コミュニケーションは、難しいのがだめでわかりやすいとよいというのは間違いである。“お互いが変わりうる”条件を満たしていないといけない。「本質的なむずかしさ」から逃げずに,重要性を表現し,自由に語りあえる科学コミュニケーションが重要だ。
4.科学が“わかりにくい”理由
第一に、科学そのものの高度性・専門性(専門家や専門教育が存在しうるほど)がある。次に、科学は難しいと思い込まれている。第3に、科学コミュニケーションが下手。セナ秀明さんのバイオホラー小説がたくさん売れていることからわかるように、難しくても面白ければ人は読むのだ。
「専門性」のある他の分野の報道と科学報道を比べてみよう。
- スポーツ
スポーツそのもの高度性・専門性は同じ(イチローには誰もかなわない)。しかし、わかりにくいという思い込みはない。スポーツでは、スポーツコミュニケーションの能力があって当然と思われている(スポーツや視聴者への理解がない記者は能力がない記者とみなされる)。スポーツでは、初めてみるという経験は、人々にとってとても新鮮なものである。
- 政治
政治そのもの高度性・専門性(肝心な判断の根拠となる情報がわからない?)初めての経験は、新局面が注目の的になる。「わかりにくい」「知識の不足」があっても判断させられる。政治コミュニケーションが下手な記者は能力がないとみなされる。
5.実践的な科学コミュニケーション教育の効用
科学そのものの高度性はあまり変わらない。科学をより多角的にとらえる新しい科学教育という効用はある。もっとも大きいのは科学コミュニケーションが上手になり、社会や科学全体の中での自分の研究の意味や位置づけがわかり、社会のその意味を伝えていけたりする。
6.科学コミュニケーション教育の導入時期と目標
- 大学入学後:多様な科学の営みや方法論,それらの担い手や問題点に切り込む機会となる。体系的な学問・科学知識の習得と平行して進めるのがのぞましい。科学コミュニケーションを専門としたい学生には,早い時期からオンザジョブトレーニング的な実践の場を用意したい。
- 学部後半から大学院:専門への理解を深めながらそれをより客観的に理解,高度な知識を一般的なコミュニケーションに生かす。短期コース,副専攻的に科学コミュニケーションの実践的なトレーニングを受ける機会を広く用意するとともに,科学コミュニケーションに関する研究実践を専攻する場も設けたい。
7.何をやるとよいのか
- サイエンス・ライティング講座
これについては、下記9に詳述する。
- 科学コミュニケーション研究室の設置
専任スタッフが科学コミュニケーションの研究・教育・実践を進める研究室(専任者1名〜)を置いて,サイエンス・ライティング講座を実施するとともに,学生・院生らと科学コミュニケーションに関する研究活動の拠点とする。
講座受講生を中心に,大学ウェブ・ページづくり,広報誌発行といったホンモノのOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)を日常的に展開することもありえる。
科学館やNPO,メディア機関,クリエータなどと共同した科学コミュニケーション活動も企画して,現場で役に立つ科学コミュニケーション研究をターゲットにおきたい。
8.内外の科学コミュニケーション教育の実例
国内で、科学コミュニケーション教育を行っている大学は以下のとおりである。
- 京都大学大学院生命科学研究科 加藤和人研究室
- 東京大学情報学環 佐倉統研究室
- 和歌山大学学生自主創造科学センター
- 大阪大学コミュニケーションデザインセンター
- 同志社大学ヒューマン・セキュリティ研究センター
- お茶の水女子大学サイエンス&エデュケーションセンター(サイエンスコミュニケーション能力養成プログラム)
- 東京大学教養教育開発機構サイエンスラボ
- 国立科学博物館科学コミュニケーター養成プログラム
- 富山大学人間発達科学部科学技術社会コミュニケーション論
- 科学技術振興調整費による「科学技術コミュニケーター養成」(北海道大学/東京大学/早稲田大学)
- サイエンス・ライティング講座(NPO法人サイコム・ジャパン)
9.サイエンス・ライティングとは何か。
「サイエンティフィック・ライティング」という言葉と「サイエンス・ライティング」という言葉がある。「サイエンティフィック・ライティング」とは、論文,教科書の書き方である。それに対して「サイエンス・ライティング」とは、科学ジャーナリズム・科学コミュニケーションにおける科学の書き方である。論文や教科書に比べてより多様な読者を飽きさせず,満足させる書き方である必要がある。専門分野を含む科学や社会についての広く,深い知識を生かすものでなければならない。読者は,すでにもっている知識と文章の流れや論理構造をおいかけながら,専門用語の意味を推量しながら読み進める。
サイエンス・ライティングは、「わかりやすく」だけではだめで、「魅力的に」「具体的に」「論争的に」が必要である。では,どう表現するか。
前後関係,因果関係の推定,物語の構築は,人間の脳の基本的な特性であり、その脳に訴える書き方をする。よい例は漫画。論理的で,筋だった構造をもつ。また、人々は科学に“無知”ではありえないので、いろいろと知っているところに訴える。具体的には例示をし、具体性をもってやる。論争を生かす。
センセーショナリズムな問題はセンセーショナルに書き、結果だけでなく,論争と未来を描き出すことが重要である。
演習の内容―実際に書いて議論して添削・推敲をする。どんな論理が働いているのかを見て、悪文の解剖をし、専門用語の取り回し/ストーリーの立て方、取材の方法/演出を行う。
10. “啓蒙” ではなく“開明”
歴史を紐解くと、Aufklaerungは「啓蒙」という訳語ではなく、明治初期には「開明」という訳語も当てられたことがわかった。カントによれば、Aufklaerung とは、「勇気をもって悟性を発揮し,自ら未成年状態を脱出すること」とされている。その意味では、「開明」の方が近いのではないか。
新しい科学技術を開明していけるような科学技術コミュニケーションを作っていきたい。
Q&A:
1.互いに異なった分野の専門家同士でのコミュニケーション
Q;たとえば、生命倫理の領域で仕事をしていた人が企業倫理の人と話をするといったように、各人が専門家なのだけれども、互いに異なったバックグラウンドをもつような場合にどのようにコミュニケーションをとったらいいのでしょうか。
A:まさにそれがサイエンスライティングの手法であり、考え方であり、目標だと思う。本質を捉えて、専門家に後ろ指刺されずに、文脈に応じて表現する能力をサイエンスライティングでは重要視する。
大学院性は、自分の研究テーマの位置づけや意味などはわからないまま研究テーマを与えられ、学会発表のときになってはじめてイントロ部分を先輩から借りてきて書く。そうすると、画鋲型コミュニケーションの学生しか育たず、周辺分野の同じ院生と議論するようなときうまくできない。それがうまくできるためには、表現力と周辺に関する広い知識が必要である。魅力的、具体的、論争的であることが重要であるといったが、科学ジャーナリズムでは、論争的、具体的であることが重要で、知財の人は、魅力的、具体的であることが重要である。
2.理科嫌いな生徒・学生とのコミュニケーション
Q:科学コミュニケーションは、理科嫌いな生徒・学生へのコミュニケーションも含むのですか。
A:嫌いというのがどういうところで決まるのかを考えねばならない。
Q:たとえば。酸素など目に見えない概念が出てきた時点で乗り越えられず嫌いになってしまう。
A:理科教育から社会性が脱色されているという問題、小学校の理科などはレベルが低すぎて面白くないという問題点があると思う。社会性を脱色した理科教育では、3割のマニアの子は理科好きになっても、あとは関心をもてない。社会に関心がある子も理科に関心がもてるように科学教育の内容が変わっていく必要がある。
3.物と人とのコミュニケーション―観察、実験
Q:日本の理科教育でも、板倉の『観察と実験』が有名であるように終戦直後には、観察や実験をして自ら考えさせ、途中から演繹的な授業をするというものであった。観察や実験には物とのコミュニケーションという側面がった。科学コミュニケーションでは。物とのコミュニケーションということは考えているのか。
A:ライティング以外に、実験室紹介などがそれに関連するのではないか。実験室紹介では、最初にコミュニケーションのイントロの講義をして、次に、どんな展示をしますかというのを考えアイディアを持ってきてそれについて議論をして、ブラッシュアップしたものを当日展示して、その後に評価をするという4段階をとっている。たとえば、現実の実験室紹介では、実験装置のとなりに展示してある原理について説明を求めると説明できなかったりする。これは画鋲型コミュニケーションの典型である、
Q:私は普段、学生に、技術者は、自分の意思決定が社会や環境にどのような影響を与えているのかを理解し、そのうえで意思決定しなければならないということを常々いっている。それができる人材を育てるのが技術者倫理教育の一つの目的といっている。科学技術が社会に与える影響を一般の人や専門の異なった人々に理解していただく能力を育てることも科学コミュニケーションの一部ということか。
A:そうである。医師も、治療の専門家とされているが、患者の病気の専門家ではない。医師もその技術、治療法が患者の生活の中でどのような意味や影響を持つのかといったことを知ることが倫理にもつながる。
4.北野武の番組は?
Q:北野武の番組はサイエンス・コミュニケーションとしても優れていると思うがどうか。
A:武の番組はみたことがないが、テレビは製作期間が結構ながいし、視聴率も気にするので優れたものも多い。
5.修了後の進路
Q:北大でも「科学技術コミュニケータ養成ユニット」というコースをはじめたが、これらのコースの卒業生の息際はどのように考えているか。
A:科学ジャーナリストは日本少ないといわれるが、そんなことはないと考えるので、雑誌なども一つの就職先であろう。また、大学や研究機関が社会とのコミュニケーションをするためにもっと人を雇っていい。
Q:パラサイトイブを書いた瀬名さんが東北大の教授になるらしい。彼の任務は、工学部のすべての先生方の研究室を回って、それぞれの研究室がやっている研究から将来何を生み出すことができるかコミュニケーションをとることであるらしい。
6.科学とスポーツと政治の違い
Q:科学とスポーツと政治の分野の比較は興味深かった。3つの分野の違いは単にイメージの違いなのか、それとも、本質的に違うのか。科学は本質的に知識の多寡が問題になる分野なのか。
A:科学は、その最先端の知識をその体系にそってわかろうとしたら、同じだけの道を通らねばならないというしんどい面があると思う。一方、科学館とスポーツセンターを比べると全く違う。スポーツは初心者講習会もあるし、対抗戦もあるし、あらゆるレベルで参加して楽しめるようになっている。科学にはまだそういう面がないが、発展させていくことが必要である。そのためには、大づかみでいいのでその技術がどのようなものであるのかを知っておくべきと思う。
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