第9回 Ethics Crossroads Town Meeting

2005年11月25日(金)
金沢工業大学 虎ノ門キャンパス

倫理問題の解決を支える ―人材育成の試み―

稲葉 一人 氏

(東京大学大学院医学系研究科生命・医療倫理人材育成ユニット)
(科学技術文明研究所)

(当日の提示資料はこちらから)

1.はじめに
 生命倫理と先端医療技術との関係は、図(別紙スライド1枚目)のような関係にある。生(出生)に関する領域と死に関する領域を2軸として、中間領域もある。現在注目されているのは、テーラーメイド医療(オーダーメード医療)で、これは、遺伝子を使った研究・医療であり、個人情報保護上の問題、差別の問題、情報管理の問題、法的・倫理的な問題などさまざまな問題が出てくる。その中で、遺伝子のバンクや脳のバンクを作るという議論が出てくるのだが、そのような問題に関して、公的あるいは半公的な機関からコンサルティングの要請を受け、対応しているのが科学技術文明研究所Center of Life Science and Society(CLSS)での仕事である。
 法律学における考えの方向としては、わける基準に注目する(何がよくて何が悪いのかを定める。民法・刑法など)と、分け方を決める手続きに注目する手続法的思考(訴訟法など)の2つがある。
 公正な手続への配慮のために、ピアレヴューシステムが医学研究の中では持たれてきた。その限界が指摘しはじめられ、第3者を入れた倫理委員会への役割が注目されはじめた。倫理委員会の設置にあたっては、構成員、公開性、独立性が重要であるといわれる。
 東京大学大学院医学経験休暇生命・医療倫理人材育成ユニットでの人材養成の内容としては、学生と社会人を受け入れ、研究者もしくはコンサルタントを養成することを目指している。人材養成の内容に関しては、その基本方針は、コンサルタント、研究者に共通したコア教育カリキュラム(生命・医療倫理学入門コース)を作成 、提供するというものである。講義、演習、実習からなる。講義では、生命・医療倫理学の歴史、理論、最近の動向等、知識的側面を教授し、ケーススタディを多用したスモールグループディスカッションを取り入れている。各自が理論的思考を行い、自らの立場を他者に説明できるようになるためのトレーニングの場と考えている。14回に及ぶ講義内容一覧は表(別紙スライド2枚目)のとおりである。
 演習では、倫理委員会の演習と倫理コンサルティングの演習がある。倫理委員会の演習では、模擬倫理委員会を設定してトレーニングを行っている。専門家だけでなく、非専門家も交えてコミュニケーションのトレーニングを行う。大事なことを適切なプロポーショナリーで議論できるように私が舵取りをすることもある。
 倫理コンサルテーションの演習では、医療現場で日常的に起きている問題を少人数グループで議論する事を行っている。両方とも、価値観、考え方が対立する中で、議論を通じて結論を導くことができるようになるためのトレーニングの場と考えている。
 実習については、生命・医療倫理的問題が生じることが想定される臨床現場(治験等)での観察実習や、研究倫理の現場である様々な生物医科学系の研究室(ヒト・ゲノム遺伝子解析研究等)での観察実習を行っている。実習は、医療や研究の現状を踏まえた議論ができるようになるためのトレーニングの場と考えている。
 木曜日夜の3時間で講義とスモールグループディスカッションを全14回、土曜日午後の授業が3回で模擬倫理審査委員会、倫理コンサルテーション演習、そして実習を3日間で修了となる。
 スタッフは、医師・看護師・臨床心理士といった臨床系スタッフと、倫理・哲学・社会学といった人文系スタッフと、法学のスタッフからなる。受講生291名の職業別内訳は、医師がもっとも多く62名、看護師38名、その他医療従事者が53、製薬関連が40、その他が95名であった。

2.法の基礎
 責任、権利、義務の関係は図(別紙スライド3枚目)のとおりである。法的な権利と義務は対応関係にある。この対応を果たさないことを、責任を果たしていないという。道徳においては、義務と権利はついになっていないことが特徴である。
 民法上で、権利の主体は人と法人であり、客体は物である。自然人はすべて権利能力をもつ。権利能力は出生に始まると規定されている。この場合、胎児はどうなるか。胎児については特別規定があるが、胚や受精卵になると法律には書いていない。これを法のけん欠、法の空白という。権利能力に対して、法的に有効な行為をする能力を行為能力という。終末期で意思表示できないときの代理承諾、なくなった方のヒトゲノム解析の承諾などが問題になる。
 犯罪が成立するためには、構成要件に該当して、違法性を満たし、責任が充足されねばならない。違法性や責任に阻却事由が在れば犯罪は成立しない。生態臓器移植は、健康な方の肝臓をとってしまう行為であり、それが犯罪にならないかどうかは、その違法性が阻却されるかどうかにかかっている。
 医療過誤の民法の問題である。立証構造としては、過失行為と損害と因果関係について、その立証を原告と被告の間で争い、裁判官が判断する。損害とは患者さんに被害をこうむらせたことであり、過失があって損害が生じるこの連鎖のことを因果関係という。
 法律の世界では、過去の判例に従うという判例主義をとっている。裁判の結果は判決であり、その中で最高裁の判決など先例としての拘束力のあるものを判例と呼ぶようにしている。東海大安楽死事件の横浜地裁判決は有名だが、あれは、法律家にとっては先例としての価値は低い。

<ケーススタディ>
 患者Aさんは子宮からの出血で入院されていますが、ご家族はいらっしゃらないとおっしゃっています。しかも、Aさんは、診断結果は知りたくないので告げないで欲しいとおっしゃっています。もし、診断結果が、生死に関わる場合に、Aさん担当の医療チームは、ご家族の所在をどの程度探ればいいのでしょうか。また、ご本人にはどのように接すればいいのでしょうか(産婦人科病棟)

「家族への告知義務」最判平成14年9月24日
 患者が末期的疾患にり患し余命が限られている旨の判断をした医師が患者本人にはその旨を告知すべきでないと判断した場合には、患者本人やその家族にとってのその診断結果の重大性に照らすと、当該医師は、診療契約に付随する義務として、少なくとも、患者の家族等のうち連絡が容易な者に対しては接触し、同人又は同人を介して更に接触できた家族等に対する告知の適否を検討し、告知が適切であると判断できたときには、その診断結果等を説明すべき義務を負う⇒上田裁判官の反対意見がある

判例の分析:
 まず、重要な事実は何かという議論をする。末期的疾患に罹患していて余命が限られているという事実、本人にはその旨を告知すべきではないという事実があるかどうか。ある場合に「家族等のうち連絡が容易なものには積極すべき」という規範を出してくる。そして、さらに接触できた家族に告知の適否を検討するという前提義務に応じて、この告知が適当と判断できたときは説明義務を負う。そのような事実関係の経緯をへて、説明義務があるのに説明しなかったら損害賠償義務が生じると考える。

事例に関して:
 このケースでは、末期で余命が限られているかどうかはわからない。しかし、本人が結果を知りたくない、家族はいないといっているという事実がある。そうした場合、上記判例をそのまま適用するだけではなかなか解決できない。

 こういう分析をすることが判例を適用するという作業である。こういう法律的な議論を知っておいていただくことは、生命倫理分野の人材にとって大切なことである。

3.生命・医療倫理の法とガイドライン
 過去において、生命・医療倫理の問題は、移植医療、生殖医療、遺伝子治療の3つの主な領域があったが、近年、その3つの領域をまたがるようなES細胞・再生医療・クローンなどの問題が出てきた。
 ヘルシンキ宣言は、ヒトを対象とする医学研究において医師等が自らを規制する研究倫理規範で、臨床研究規制の出発点となるものである。倫理委員会の委員をやる方は必ず、ぜひ最初から最後まで一度は読むべき、基本中の基本である。
 日本での規制の動きとしては、文部科学省にあった旧科学技術会議生命倫理委員会があった。クローン小委員会、ヒト胚研究小委員会、ヒトゲノム研究小委員会の3つが当時あり、それぞれ、クローン禁止法と特殊胚指針、ES細胞指針、ヒトゲノム指針が作られた。クローンとヒト胚については、2004年7月総合科学技術会議生命倫理専門調査会で、「ヒト胚の取扱い方に関する基本的考え方」としてまとめられた。総合科学技術会議は内閣府についているので、文科省付、経産省付、厚生労働省付というのよりも一段格が高い位置にある。臨床研究倫理指針と他指針等との関係の関係は図(別紙スライド4枚目)のように一部重なっている関係にある。
 指針といわれているものとして、ヒトゲノム、ES、遺伝子、疫学、臨床研究の5つある。倫理震災委員会で大切なことは、自分たちが審査の対象としている研究が、どの規範、どのガイドラインで判断するのかをしっかり同定することである。
 ガイドラインと法律のすみわけは図(別紙スライド5枚目)のとおりである。クローンや臓器移植は権利侵害性が高いということで法律化されているのだろう。クローンも、保険や雇用、生活等で差別を受ける可能性が高いということで法制化されてもいいと思うが、なされていない。日本では、生命倫理の政策論がしっかり議論されて子となかったという問題点がある。

4.終末期医療における法
 人の能力に関して、民法では図6のように規定されている。
 終末期の議論では、事前の意志(Advanced Directive)という仕組みがある。指示(direct)の内容にはLiving WillとDurable Power of Attorneyというものがある。Living Willは、具体的な治療行為、あるいは具体的な処置そのものを主としてドクターに対して命令するものである(例:無駄な延命治療はしないでください、など)。日本の遺言に似ているが、日本の遺言は財産に関するものだけに限られるのと、死なないと効力が生じない点が違う。また、Durable Power of Attorneyは、自分がこういう状態だったら、この人が判断してくださいと人に頼む制度である。通常、持続的代理権という。アメリカでは、この持続的代理権の制度が発達したが、これは日本と米国の民法の制度の違いによるものである。日本の後見人や任意後見人には医療上の行為の同意権があるとは書いていない。
 終末期に関しては、先日来、衆議院、参議院の議員連盟の一部のかたがたから、尊厳死法案を作ってくれという議論が出てきている。
 死に関する刑法上の規定で重要なものを表にしたのが図(別紙スライド7枚目)である。終末期において「私の生命維持装置をとってくれ」という話が出た場合、殺人罪、傷害致死罪、保護責任者遺棄罪、自殺関与、同意殺人の問題が絡んでくる。
 死に関する法律や倫理をみると、その目的の違いに目がいく。逸脱を防止するのが法律の目的で、よりよく生きるということを問題とするのが倫理である。だから、法律は、SOLの発想に近く、倫理はQOLの発想に近い。

5.倫理審査委員会の種類、臨床倫理
 倫理審査委員会にも、研究倫理審査委員会、治験審査、臨床倫理委員会がある。前者2つはIRB、臨床倫理委員会はHEC(Hospital Ethics Committee)である。
 倫理コンサルテーションと研究倫理審査に必要な能力は違う。両方とも、倫理学、医療関係法の基礎は必要であるが、コンサルテーションは、ベッドサイドで患者や家族と話したり、多職種と話し合ったりするものである。ナース出身者はこの分野に関心を持つことが多い。一方、研究倫理審査では、研究の意義の理解力など求められ、医師や研究者が関心を持ちやすい。倫理コンサルテーションとは、よき医療上の意思決定を助けるものだという議論がある。
 倫理コンサルテーションの演習は、授業では4時間くらいをかけて行う。

6.個人情報保護
 個人情報保護のスキームは、図(別紙スライド8枚目)のとおりである。生存する個人の情報について、利用目的を特定し、そして本人に通知するか、公表するかということを事前に示し、それ以外、目的外使用ができない、第3者に提供ができない、というものである(5,000件以上扱う事業者の責任)。外からは本人の求めに応じて開示の請求ができる。学術研究目的の場合も目的外使用への道が開かれている。
 今問題になっているのは、遺伝の情報の問題である。遺伝情報を大きな会社がデータベース化するということに関する問題が指摘されている。犯罪捜査データベース化が始まっているが、犯人でなかった人のデータも残るわけで問題になっている。
 遺伝子検査についても、社会的差別、知る権利、知らないでおく権利のことが問題になっている。
 個人情報保護法は、医療についての特別法ではない。医療については、日常診療に関する問題と、疫学研究に関する問題がある。日常診療に関しては、ガイドラインがある(6条、8条)。医学研究に関しては、医学研究は個人情報保護の適用除外になっている(50条1項3号)ため、ヒトゲノム指針などが法律上の根拠とは別個にある。遺伝子をたくさん使う医学研究の法において、ガイドラインよりも拘束力の少ない指針があるのみという規制の状況には問題がある。

質疑応答

1.進路
 東大での講座の修了生のバックグラウンドと具体的な進路を教えていただきたい
 医師や看護職が多く、同数くらいである。その他のコメディカルを入れると半数くらいが医療関係者。製薬企業関係者も多い。夏の集中講座では、約4分の1が大学教員であった。
 進路としては、何割かは倫理委員や倫理委員会の事務局になったが、多くは元の仕事に戻る。まだ2期で80人の修了者を出しただけでわからないが、最近は、東大の医療政策系方々との交流もあるようだ。

2.EBMエシックス
 エマージングテクノロジーなど、その人体や環境への影響がわかっていない科学技術に関して倫理的判断を迫られる場面が出てきているが、医療分野では、がないような案件に関してはどのような手法や手続きで倫理的判断をしているのか。
 医療でも、エビデンスがないところがたくさんある。診療ガイドラインなどでも、エビデンスがないのに「えいっ」と決まってしまうことがある。EBMエシックスといったのは、エビデンスがあるかどうかチャックということである。エビデンスがあるところ、ないところ、強いところ、弱いところの仕分けをしていくという作業が必要です。
 エビデンスがないときにどう判断するかは、政策決定の場と、臨床場面と分けて考えたほうがいいと思う。臨床場面では、患者にエビデンスがないリスクを伝えて、自己決定をサポートしていけばいいだろう。政策決定の場では、他の国の同様の事項に関する政策を取っているかの基礎資料を集めるべきで、それがないと、そのときどきの力関係で決まってしまう。


3.再生医療・クローン・ES
 再生医療・クローン・ESは、「領域を超えた問題の誕生」という表現がなされましたが、このガイドラインつくりは、各種のガイドラインを統合して考えていくというようなイメージなのか。
 ガイドラインは、想像された問題について各個撃破の仕組みになっている。ESなどでは社会的影響も大きいので、パッチワーク的に過去のガイドラインを重ね合わせるだけではだめだろう。各ガイドラインを超えた議論が必要。ESなどもそうだが、医学研究の最先端をしっかりつかむのは重要。もしかしたら、実現不可能なことがいわれているだけかもしれないから(ESが再生医療に使えるというのも、本当のところは誰もわかっていないのでは)。最前線の状況と可能性をしっかり把握して、規制について考えていくべきである。
 本当に最先端の研究に規制が適用されるときの判断とは、具体的にどのようになされるのか。
 関西医大の再生のケースだったか、効くか効かないかわからないために1年間くらい審査があったり、審査が戻されたりしたことがあった。最先端の難しいものについての方法論はまだ確立されていない。

4.東大のCBELの現状について
 夏の短期コースは地方の方が多く参加しているのか。倍率は、290人の希望者に対して80人の受講者か。受講生を選ぶ基準は。
 通常のコースは木曜日の夜開講なので近くの方がおおいので、夏は優先的に地方の方を採ろうとしている。倍率は、1回目は5から10倍の倍率であった。基準はバランスである。倫理委員会と同じ構成にしようという発想で、職種やバックグランドでバランスを考える。もうひとつの基準は、すぐに仕事に役立てられる人。あとは早い順とか、何度も申し込んでくれている方を採るなどしている。

5.東大のモデルはどこ?
 スタッフの方を海外のプログラムに送って受講させたとのことだったが、東大CBELのモデルになるようなプログラムは諸外国にあるのか。
 ケネディ倫理研究所やオーストラリアがそうである。ケネディに行くと、世界中の倫理教育のシラバスが集まっている。そこで30くらい集めて、その中でコアなものは何かを皆でチェックして、それを重点的に受けに行き、コアカリキュラムを作った。
 ケネディのそれはウェブで見られるのか。
 見られると思う。