3.不正行為はどのくらいは発生しているのか
ORIの調査からは、0.05%(1万件あたり5件)くらいの割合である。1997年PHS助成プロジェクト数は3万2千件あったが、そのうち不正行為が証明された件数は15件であった。しかしこれは、明らかになっている不正行為は氷山の一角と思われる。
不正行為の発生率についての新しい調査として、9 June 2005の
Nature 435号の記事を紹介したい。この記事によれば、3,247名の回答者の33%が、過去3年間に、「研究データの偽造」から、「助成機関からの圧力で研究デザイン・方法・結果などを変える」といった、とくに重大と思われる10項目の誤った行動のひとつに加担したことがあると答えていた。つまり、研究者の33%は、公正でない違反行動に関与したことを自ら告白している。すなわち、みんな危ない橋渡っているということである(Martinson BC et al., "Scientists behaving badly".
Nature 435(9 June 2005))
4.不正行為とその規制に関する歴史
1980年バイドール法成立:産学官連携を強める目的で、バイドール法が成立した。連邦政府の資金によって開発した研究成果の所有権を研究者や研究機関に所属させるというもので、それによっての財政的利益も研究者や研究機関が得ることができる。こういったことを進める裏では、不正行為も増えるだろうということが当時議会で検討された(ゴアを中心に)。実際、バイドール法などを背景として、1981年から2001年にかけて、大学が得た特許の数が大きく伸びている(特にトップ100大学)。大学が産業との連携で発展しているという中で、科学研究の内実が、趣味・興味から金儲けへと変わってきているのではないか。
1980年代の科学界の空気は、「科学研究は専門家による自立的な活動であり、レフェリーシステムにより効果的な自己規制メカニズムが働いている。不正行為への大げさな対応は必要ない」というもので、科学界の問題は政府の干渉するものではなく、科学界自身の自己規制で解決できるという議論が主流を占めていた。一方で、学術世界における最も重要な質のフィルターであるレフェリーシステムについては、研究内容がレヴューアーにとられてしまうという問題(editorial misconduct)が頻繁に起こっている問題などが1989年のInternational Congress on Peer Review in Biomedical Publicationで指摘されるようにもなった。
バイドール法成立時にゴアらによって議論されたように、不正行為に関する議論は当初議会など政治の場で扱われたが、政治の場では難しいということで、1989年から専門の調査機関が作られてきて、1992年にOffice Research Integrityができた。
科学の不正行為についての文献数(Science & misconduct)の変化を見ると、1990年代から大きく増えた。近年、超一流誌でそういう問題が取り上げられつつある。毎年100くらい出ているが、そのうち半分がリサーチアーティクルとしてである。科学研究倫理は、際物ではなく、それ自体がサイエンスであると考える。科学研究倫理へのアカデミックな研究が必要であり、そこを通らねばサイエンスはサイエンス足りえない。世界的には、さまざまな研究の不正行為や研究倫理に関する本が出版されている。日本は米国から10年遅れている。
科学研究の不正行為の定義は、FFP(Fabrication (捏造)、Falsification (偽造)、Plagiarism (盗用))を中心にいろいろある。この3以外に、例えば逸脱行為はどう捉得るのかというような問題もある。Gift authorship, duplicate publication, redundant publication, wasteful publication、資金の不正利用、セクハラ…….など。不正行為の定義を拡大する必要があるかもしれない。
それに対して、連邦政府の定義2002では、この3つに限定してやろうということになった。2005年の改定ではそれまで記載されていた「認められた慣行からの重大な逸脱行為」という言葉を除外し、より限定的具体的になった。ゴアの活動から20年近くたって、やっと形になったといえる。
しかし、ORIの人たちはもう少し広く定義する必要があると考ええている。だんだん少しずつ広くなっていくだろう。科学者は問題を限定して捉える傾向があるが、助成を出す側は実態を見つめた上で広く定義しようという傾向がある。連邦政府は最低限の定義であり、他ではそれぞれ少し広く取るということが考えられる。
ボルティモア・アフェアーが捏造を指摘された事件では、結論が出るまで10年かかった。最終的には白ということで結論がでた。
5.不正は原因をどう考えるか
事例を通じて考えたい。九大助教授の覚せい剤所持事件は、単にエリートのスキャンダラスな事件なのか。研究所の現在の所長であるYさんは、覚せい剤を所持していたN氏の名古屋時代からの指導者であったが、このY氏の名古屋大の10編のうち4編は西村氏の筆頭論文であり、つまり、西村氏は分身であるということができる。つまり、N氏は「科学者の不正行為」で取り上げたM氏と同じところに在籍していた。つまり、事件や不正行為の背景には、単に個人の特質だけでなくラボの環境や風土がある。任期制、独立行政法人九大の中で研究所の存続も確かでない。非常に競争的で互いに信頼感のない中で研究されている中で論文が生産されているという中で、研究者のストレスや負担も高いものであったことが予想される。
ベル研の事件にしても、親会社の株価の低落時期2001年くらいにベル研論文数も減るという明らかな経済状況の研究環境への影響があったことが予想される。そういう環境の影響のあっての不正行為や事件と考えられる。
つまり、不正行為の原因は個人かシステムかといえば、両方であると考える。したがって、こういう問題では、研究者を取りまく圧力などにも目をむけ、研究者個人を追及するよりも、原因の分析と研究環境の整備によって解決していくべきと考えている。
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<背景> |
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成果主義 :特許・一流誌
利害衝突(conflict of interest)
競争的資金の増加
スター研究者を必要とする
任期制
大規模研究・共同研究の増加 |
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↓結果 |
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<状況> |
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研究組織にゆとりが無くなり、人間関係が競争的になる
十分な検証なしに発表を急ぐ |
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↓ |
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<背景2> |
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不正行為にたいして自己規制メカニズムも法的規制も十分機能していないのが日本の現状である |
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↓ |
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<結論> |
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研究環境と風土の改革が必要
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6.今後考えるべき事項
今後考えるべき事項として以下のようなことがあることが考えられる。
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日本版ORIの設置
助成機関は、不正行為への対処を明確にする
研究機関は、倫理ポリシー、対応組織、対処手順を整備する
科学界の自己規制だけでなく、法整備をする
研究組織が競争的になり、教育機能が失われている
メンター・トレイニー関係を確立させる
不正調査だけでなく、教育啓蒙活動を強化する
過度な競争とプレッシャーを指導者は適切に管理する
多産な研究者、高額資金獲得者に注意する
外部資金の導入にともない、利益相反へ注意する
研究者の業績評価・昇任・採用の公正化
研究の公正さや不正行為を対象にした調査研究を行う
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質疑応答
Q |
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研究倫理のプログラムの作成を目的にしている:リサーチインテグリティのオフィスを設立にするにあたって、そのスタッフにはどのようなトレーニングが必要か。大阪大学でのプログラムについて可能ならば教えていただきたい。 |
A |
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大阪大学でプロセデュアを作ったが、誰が動かすのかという問題があった。とりあえず普通の事務官に入っていただいて勉強していただくしかないということになった。人材という問題は確かにある。アメリカ社会は、監視・ウォッチになれている。オンブズ・オフィス制度も大学にある。なので、日本でも、例えばオンブズマン制度はこれまでもあったのだから、そのような土壌を大学への活動にまで広げていくというのはどうだろうか。
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Q |
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ピアレヴュー、レフェリーシステムについて聞きたい。1980年代は「科学研究は専門家による自立的な活動であり、レフェリーシステムにより効果的な自己規制メカニズムが働いている。不正行為への大げさな対応は必要ない」という土壌だったという話だったが、21世紀においてそれが価値があるシステムであり、続けていくのだとしたら、どのように(特にシステム的に)よりよくしていったらいいか。 |
A |
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決定打はない。しかし現状、多くの場合、一論文2名のレフェリーでシングルブラインドでやっている。オープンフェアレビューが2000年前後にBMJの編集長から提言された。それによってエディトリアルミスコンダクトも減るだろうという考え。レヴューアーの過程でミスコンダクトが起こっているということへの対処。名前は公表されるが、やりとりは編集部を通じて行われている。 |
A |
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(札野)19世紀はそうだった。個人としてのレヴューアーが学会誌の掲載の価値ありと報告するシステムだった。
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Q |
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多産な先生、学生を駆使してレポートを作るという研究室がある。阪大では、こういう体制の問題について、話が出ているのか。 |
A |
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学内政治の世界はあるが、きちんとした意見を公表していくことが必要
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Q |
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日本の技術管理は、研究の不正行為を監理するシステムを作っていくというニュースがあったが。 |
A |
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上からもいいが、事例、現場からというのが必要と思う。現場の研究者も声をあげ、具体的なことを言っていく必要がある。
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Q |
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英国では、ダブルブラインドのレフェリーシステムをとっている雑誌もあった。名前を公表するというオープンレフェリーの流れの一方で、ダブルブラインドという方向性もある。 |
A |
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ダブルブラインドもシングルブラインドの問題点を解決する一つのやり方ではあると考えている。しかし、ダブルブラインドは、事務作業が多く、大規模誌では採用しにくいという問題点はあるが。
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Q |
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成果主義はミスコンダクトを作り上げる土壌なのではないかと思うが、土壌を作らないための方法についてコメントを。組織について、兼任がいいのか、選任がいいのか。 |
A |
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ここまで時代が来たか、という思いはある。研究者だけではできないし、専門的なこともあるから両方の協力が必要。
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Q |
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伺ってみて、現場の感覚として難しいなと思う。たとえば、3回実験をやって、2回目以降きれいなデータが出たときに、1回目は練習だからと省くのは偽造か。偽造とは何かを具体的に示されないまま、競争的な環境でやらされているのが現状。スピード違反も、つかまるのは一定の確率でばれなきゃいいと考えるのと同じように、倫理をまともに守っていたのではついていけないし、見つかったらアンラッキー(スピード違反と同じ)と思って、実際は倫理を破ることをしている。研究者がなるほどこれならやりたい、やれると思える研究倫理を守るシステムはどうしたらいいのか。 |
A |
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例えば、阪大の事例を見てみると、実験ノートがなかった。いい結果が出たらすぐに論文にすることをしているので、周りの人が再実験をする余地がない。そこらへんのところは、素人でも問題だよなとわかる。だから、研究実験法の授業などで、そのようなことをしっかり教育することが必要なのではないか。
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Q |
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研究成果を多産している現場は、みんなそういう状況で研究をしている。実験ノートを残せなんていう教育は今されていない。ノートの持ち出しなどについても。 |
A |
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ORIなんかでは、実験ノートを何年保管するべき、データの持ち出し所有権などが明文化されている。 |
A |
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例えば、海外の研究所に日本から研究者が2年くらいの単位でいく。しかし、2年ではまともな成果が出ないこともある。しかし、研究者にとっては2年で成果をあげなければいけないから、無茶をしている可能性も高い。だから、半分は信用しちゃいけないよ、といわれている。その現場の現実の上に立たないと、単なるルールの押し付けになる。研究者に浸透させなければいけない。
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<以下は、講師の山崎先生ご本人による要旨です>
公正な科学研究がなぜ求められるのか:内外の動向と対処
愛知淑徳大学文学部図書館情報学科
山崎茂明
1、社会は安全な情報と知識を求める
なぜ公正な科学研究かと問われれば、「一般の人々を科学の不正行為からまもることは、ちょうど公衆衛生のひとつの側面である。水質や食品の安全性をチェックする機関と同様に、知識や情報の質、そしてその安全性をチェックするシステムが、つねに機能するよう組織されていなければならない」という言葉が答えになるだろう。出版倫理に関心を持ったCommittee of Publication Ethics(COPE)の議長であるMichael Farthing博士の発言である。一般の人々は、科学者が誠実に研究に従事しており、不正行為など存在しないと考えているかもしれない。また、自分たちの意見が科学政策に反映するべきであると考えているが、科学の世界の専門的な内容を理解するのは難しいとみなしている。つまり、科学研究を遠いものとして認識している。しかし、科学研究が、経済や生活の質の発展を基礎付けるものであり、そこに不正行為が混入すれば、社会基盤が揺らぎ暮らしを脅かすことになると気づき始めている。
2、小さな政府からの転換
米国の歴史を見ると、1957年のスプートニク・ショックまで、小さな政府を望ましいものとしたジェファーソン主義にもとづき、基本的に連邦政府は教育と研究に大きな関与をしてこなかった。しかし、1958年にNational Defense Educational Actの制定により、連邦政府は研究と教育への公的資金の投入に力を注ぐことになった。宇宙競争にあってソ連に遅れをとり、国家防衛の危険が迫ったからである。この公的資金の投入は、同時に国民への説明責任をともなうものであり、さまざまな規制も発生した。こうして、科学研究の世界は、科学コミュニティの自己規制だけでなく、政府を中心とした法的な規制が及ぶものになっていった。
3、研究活動を規制する
研究における動物の使用規制は、1966年の動物福祉法(Animal Welfare Act)によりなされ、研究におけるヒトの使用には1974年の国家研究法(National Research Act)により規制が強化された。そして、科学研究の不正行為(捏造・偽造・盗用)については、1985年の健康研究拡張法(Health Research Extension Act)によりさまざまな対策がとられるようになった。1989年にOffice of Scientific Integrity(OSI)と Office of Scientific Integrity Review(OSIR)が設立され、議会による追求がうまく機能しないことで、政府内に不正行為の調査機関をつくることになった。そして、1992年に現在の研究公正局(Office of Research Integrity)に改組された。なお、研究公正局は、健康福祉省(DHHS: Department of Health and Human Services)下の公衆衛生庁に所属しており、ここから助成された研究プロジェクトを監視対象にしており、すべての連邦政府や公的・私的助成を対象にしているわけではない。また、不正行為の調査を行う機関であるが、研究の公正さを普及し教育していくこと、さらに不正行為を対象にした研究活動を支援することに力を注いでいる。
公衆衛生庁が国立衛生研究所(NIH)を通して、4万件におよぶ米国の生物医学研究を助成しており、そのプロジェクトの不正調査が研究公正局の責任範囲になる。しかし、実際の調査は、助成を受けている大学や研究所などの研究機関により実行される。国立衛生研究所からの助成を受けるためには、不正行為への対応ポリシー、対応手順、担当部署などが確立されていないと、助成を受けることができない。モデルとなるポリシーや手順は、研究公正局により提示されており、各研究機関はモデルをもとに作成すればよい。日本では、対処システムを整備する時期にきている。
4、不正行為を定義する
不正行為への関心が高まりながら、連邦政府の定義が正式に策定されたのは、2000年12月であった。生物医学分野での不正行為への対応は、まだ他の省庁に十分普及してはいなかった。不正行為の定義は、いわゆるFFP(Fabrication、Falsification、Plagiarism:捏造・偽造・盗用)に限定され、オーサーシップの誤用、各種ハラスメントなどは含まれていない。つまり、最低限の範囲が定義されたものであり、研究機関は連邦政府の定義をこえたより広い内容を含む必要があるだろう。
5、不正行為を史的に振り返る
1974年におきたニューヨークのスローン・ケタリング癌研究所を舞台にしたサマーリン事件、そして1980年代の議会公聴会でとりあげられたボルチモア事件など、多くの不正行為事件がジャーナリズムを賑わした。しかし、1980年代の科学界の空気は、科学研究は専門家による自立的な活動であり、レフェリーシステムによる効果的な自己規制メカニズムが働いており、不正行為への大げさな対応は必要ないものである。そして、科学界の問題は、政府の干渉するものではなく、科学界自身の自己規制で解決できるというものであった。このような空気を変化させたのは、不正行為事例の発生に悩まされてきた助成機関や生物医学雑誌の編集者たちであり、1989年にシカゴで開催されたInternational Congress on Peer Review in Biomedical Publicationはその典型的な事例であった。不正行為にたいして同僚審査(peer review)が無力であり、さらに論文審査プロセスで編集者やレフェリーによってなされるeditorial misconductさえ指摘され、peer reviewへの批判にあふれた会議であった。1980年代の不正行為の広がりを考えると、この会議の批判意識を理解できるであろう。
1982年に科学ジャーナリストにより「Betrayers of the Truth」(邦訳「背信の科学者たち」化学同人)が出版され、不正行為の存在に人々が気づいた。科学界内部からは、1992年のLaFolletteによる「Stealing into Print: Fraud, Plagiarism, and other Misconduct in Scientific Publishing」(University of California Press) が発表され、翌年の1993年にLock and Wells らによる「 Fraud and misconduct in medical research」(BMJ Publishing Group)が刊行された。この図書は、1996年、2001年と改訂されている。日本では「科学者の不正行為」(丸善)が2002年に出版され、これはLaFolletteからちょうど10年後にあたり、日本での不正行為問題への関心の遅れを示している。国際会議は、1999年のエジンバラ会議、2000年のベセスダ会議、2002年のポトマック会議と、小規模であったが持続された。科学研究のグローバリゼーションにともない、研究の公正さをめぐる倫理は、科学界の共通する関心トピックになった。
6、実際の事例から学び出発する
取りあげた主要事件は、九州大学助教授による薬物汚染事件、そして物理学のショーン事件を題材にして、不正行為を成立させた背景や研究環境を明らかにした。個人の事件という問題設定から、研究組織や研究風土、さらに社会と学術世界の関係の不均衡さが見えてくるはずである。不正行為にたいして、科学界の自己規制メカニズムは十分な整備がなされておらず、法的な規制も機能していないのが、日本の現実である。それだけに、研究の公正さに関心ある専門家の果たすべき役割は大きなものがあり、実践的な教育プログラムの開発とともに、科学的な研究主題として向き合っていく必要がある。
講演者主要関係資料
- 山崎茂明.不正行為にはたす編集者の役割.臨床評価 2002; 30:109-114
- 山崎茂明.科学の不正行為と出版倫理. 実験医学 2003; 21(7):944-947
- 山崎茂明.科学発表倫理の確立:Schon事件. 応用物理 2003; 72(4) :466-470
- 山崎茂明.「生命科学論文投稿ガイド」中外医学社、1996年
- 根岸正光・山崎茂明「研究評価」丸善、2001年
- 山崎茂明.「科学者の不正行為」丸善、2002年
- 山崎茂明.「論文投稿のインフォマティクス」中外医学社、2003年
- Steneck N(山崎茂明訳).「ORI研究倫理入門」丸善、2005