第4回 Ethics Crossroads Town Meeting

平成17年5月13日
金沢工業大学 虎ノ門キャンパス

米国の企業倫理の動向と日本への示唆

菱山 隆二 氏(企業行動研究センター所長)

(当日の配付資料はこちらから)

1.量刑ガイドラインについて
1−1.量刑ガイドラインについて
 米国には、組織に属する人が問題を起こしたときにどういった量刑を科するかというガイドラインがある。それは、下記の方程式により決定される。

罰金基準額1×有罪点数2=懲罰的罰金額3
1 不当利得、与えた損害、犯罪ランクから最多額
2 減点:有効なコンプライアンス・プログラム保有、
    発見後の報告・ 調査協力
加点:上級管理者の関与、重犯、隠蔽・司法妨害
3 例: 罰金基準額を$100万とすれば
$100万 x 0.05 = $5万(企業が「いい子」の場合)
$100万 x 4.0 = $400万(企業が「悪い子」の場合)
 ※ 必要に応じて1年から5年の保護観察期間
実績:2003 Sourcebook of Federal Sentencing Statistics. at http://www.ussc.gov/ANNRPT/2003/SBtoc03.htm

 これが、昨年1年間で、見直された。2004年11月、量刑ガイドラインの改定である。これまでは、法令遵守・コンプライアンス型だったが、倫理&コンプライアンスといったタイプすなわち価値をシェアするという考え方のプログラムとなった。それ以外に、倫理的な企業文化の重視、ボードメンバー(取締役と経営幹部)の責任を重視し、彼らへの研修も行うようになった(図1)。
 倫理コンプライアンスには、二つのサイクルがあると私は考える。一つは、法令を遵守し、違反したら罰するというサイクル。もう一つは企業としてもっている社是社訓あるいは理念という価値観をベースにして、その範疇内で構成員が創造的に働く、というサイクルである。両方のバランスをどう取るかが経営の妙味である。
 図2は、日本の同友会のデータである。経営理念の明文化と浸透努力をしているという企業は半分以上に上るが、それが浸透しているのは4分の1くらいである。この浸透が不十分であるところが不祥事が起きる一つの要因であり、このようなことと機を一にして、米国ではバリューズを得るという議論が出てきたと考えられる。

1−2.米国での不祥事
 図3は米国での不祥事のデータである。2ヶ月ほど前のウォールストリートジャーナルであるが、仮病を使って届けているのが36%、同僚が悪いことをしているけれども黙って見過ごすというのが35%、などとなっている。図4は、2004年において、従業員、マネージャー、オーナー(エグゼクティブ)で、どの階層がどれだけの犯罪をしているかである。圧倒的に数が多いのは従業員だが、会社に迷惑をかける度合いはエグゼクティブの犯罪が多い。図5は、何で不正を発見したかについてのデータである。ヘルプラインやホットライン、その他による情報提供が多い。また、内部統制や外部監査もある。結論としては、ヘルプラインよりも、内部統制によって不正を見つけていこう、というものである。図6は、不正の情報が誰から寄せられたかである。圧倒的員従業員が多いが、お客や取引業者などもある。第三者からの情報は重要なので、お客や取引業者や社外の方々の情報を集めるためのヘルプラインともうけたらどうか、ということが言われている。
 米国の企業も、ガイドラインをきちんと守り、普段からコンプライアンスをきちんとやっているかどうかは、会社次第であり、大企業でも遅れているところもある。例えば、シティグループは、現在保護観察期間で、大規模な企業買収はしばらくはしてはいけないとされている。

2.コーポレート・ガバナンス
 今年の2、3月に入ってから、大物の社長や会長がバタバタと取締役会で首を切られた(図8)。取締役会としてリスクを背負いたくない、訴訟も受けたくないということで、取締役会がきちんと機能して問題のあるCEOは首を切るという傾向になった。
 しかし、日本ではなかなかできていない。同友会も上記のような意識をもっており、社長経験者以外が現社長の業績を評価し、場合によっては現社長を解任できる仕組みがあるかどうかを企業統治のポイントとして調査した。その仕組みが機能しているのはわずか9%であった(図9)。
 米国では、不正への裁きは厳しく、問題を起こすと罰金も大きい。ワールドコム元CEOのB.エバース被告は、虚偽報告など9つの罪すべて有罪で最高で85年の懲役を受けるのではないかといわれている。ワールドコム社債をめぐる投資家の集団訴訟も、社債販売前に同社の資産の精査を怠ったということで、JPモルガン・チェースが20億ドルを支払うことで和解となった。
 また、米国では、ボードメンバーはほとんど社外取締役が多いが、彼らがお金を払う時に、従来は保険で払っていたが、近年では、役割と責任を追及し、一部自腹でという方向になってきている。エンロン株主訴訟では、元社外取締役10人が16,800万ドルの和解金のうち、1,300万ドルは自腹が和解の条件となっている。
 また、CEOの報酬が高すぎるという議論が数年来ある。批判は下記の3つである。
(1)水準が高すぎる
984万ドル 1 (2004年の大企業179社平均)
(2003年 大企業平均 800万ドル 2
(2)対前年増加率が高すぎる

+12% 1
(2004年の大企業179社平均)
(工場労働者は +3.6% 1
(3)格差がありすぎる
労働者の301倍2 (2003年)
1.AFL-CIO, 2004 Trends in CEO Pay
2.J. Moriarty, “Does CEOs get paid too much?”, 2005, Business Ethics Quarterly, Vol. 15, Issue 2, pp.257-281

これに対して、下記の二つの立場とその理由付けがある。

<当然である>
(1)売り手と買い手のネゴの結果
(2)仕事と功績に見合う報酬
(3)引き止めたいCEOへのインセンティブ
<おかしい>
(1)買い手のボードメンバーのエゴ
 (CEOはボードメンバー選任に参画するな)
(2)評価がお粗末、外部要因の影響もある
(3)格差に納得性が乏しい
 (日本のCEO比22倍、英国のCEO比6倍)
 (医師、将軍、連邦地裁判事の約53倍)
a J. Moriarty, “Does CEOs get paid too much?”, 2005, Business Ethics Quarterly,  Vol. 15, Issue 2, pp. 257-281

 図10は参考であるが、所得と寄付額の関係を示している。最も収入の低い層で寄付の比率が高いという結果になっている。
 コーポレート・ガバナンスの問題は、株主提案で改善を迫る場合が米国では多い。SRI(社会的責任投資)のファンド・NGOが推進役となっている。環境(温暖化)、政治献金、公正雇用、動物福祉などである。CEOの報酬の件も非常に多く、会長とCEOの分離の問題もある。

3.企業の社会的責任(CSR)
3−1.CSRの背景
 社会的責任が言われる背景としては、下記のようなことがある。
企業の巨大化・グローバル化・影響力の拡大
地球規模での環境・人権問題
制度的枠組が変化(規制緩和/外圧/自己責任)
不祥事が多発
ステークホルダーの視点の顕在化と活動拡大
消費者 投資家 NGO/市民団体 地域社会
企業の役割、企業への期待が変化
  (開示・説明責任・透明性・対話・倫理性)
社会が企業行動規範を提示・評価(国際組織、SRI)ハ
IT化による情報収集・発信・共有、スピードと影響力

3−2.トリプルボトムラインとピラミッドモデル
 日本で、21世紀の企業哲学として言われているのは、トリプルボトムライン(図11)で、米国でも広まりつつあるが、米国で一番主流なのは、キャロルによるピラミッドモデルである(図12)。キャロルは最近表現を変えて輪で表現するにいたった(図13)。図13は、2003年10月の米国の経営倫理学の雑誌に掲載されていたものだが、法令遵守、倫理、経済は、すべて人類社会に奉仕するものであり、ピラミッドモデルの一番高い頂点はその3つの中に含まれる、と述べられている。
 しかし、米国で歴史的に一番典型的に企業倫理を示しているのは、ベンジャミン・フランクリンである。貧しい家に生まれて一生懸命働いて、生活はピューリタン的にストイック、そしてすべての家族は一流になった。

3−3.サステナビリティ
 図14は、地球の環境容量である。人類の経済活動規模は、環境容量を大幅に越えている。人口の増加、特に発展途上国での増加という問題もあり、これらから貧困の問題も出てくる。図15は国連のミレニアム開発目標であり、社会的責任に目覚めた企業は協力をし始めている。例えば、BP(イギリスの石油会社)やシェルなどである。

3−4.貧しい国でのビジネス
 1日2ドル以下で暮らしているような貧しい人々を対象としたビジネスの市場規模は、年間13兆ドルが見込まれている。たとえば、下水や上水が整っていない地域の人々でもテレビや携帯電話を買うかもしれない。彼らにテレビや携帯電話を売って何が悪いのかという人たちもいる。しかし、貧しい人たちを助けることと、貧しい人々に物を売ることは別のものであり、商売人たちは、貧しい人たちの間に需要を作り出して執拗に物を売っている。これに対して、国連は、企業は地元政府やNGOとパートナーを組んで貢献してほしいということを言っている。
 また、世界的な水不足の問題もある。コカコーラは地下水をくみ上げてコーラやファンタを作って売っている。ネスレはパキスタンで、地下水をボトル詰めして売っている。パキスタンは1日1ドル以下でみんな暮らしている。それで、きれいな水にアクセスできる人は2割くらいしかいない。1日1ドルで暮らしている人が38セント払って買えるとは考えられない。すなわち、必然的に経済的に豊かなあるいは中間層に向けた販売で、貧しい人にはきれいな水はいかないということになる。
 また、地下水をくみ上げると、井戸水のレベルが下がり、飲料水がくみ上げにくくなる、あるいは品質が悪くなる。農業用水には水がいかなく、貧しい人たちはますますしわ寄せを受ける。これらの国では、くみ上げに関する法制上の規制はない。しかも、こういった大企業はその国の上層部とつながっているということも批判を受ける。大企業は立派な企業理念をもっており、住民のために、未来のために、というが、実際の貧しい人々との関わりはどうなのだ、という問題がある。
 発展途上国での貧しい人々に対するビジネスの問題の典型はタバコである。企業は、米国内では、タバコの健康上への害について積極的に告知し、タバコ会社として社会的責任を果たしているというが、米国や先進国でタバコを売る量が減る代わりに途上国で売っているタバコの量が増えている。経済的にも貧しく、教育レベルは低く、衛生設備は整っていない、病気のこともわかっていないという途上国の貧しい人々にタバコをどんどん売っている。これが社会的責任なのか。

3−5.「グローバル・コンパクト」の10原則
 これに対して、国連は、「グローバル・コンパクト」を作った。「グローバル・コンパクト」は、各企業に対して、それぞれの影響力の及ぶ範囲内で、人権、労働基準、環境に関して、国際的に認められた規範を支持し、実践するよう要請している(図16、17)。世界的には千数百社、日本でも30数社がコミットしているガイドラインである。
 例えば、ナイキは世界の人件費の安いところで契約をし、児童労働や強制労働をしているのではないかといわれてきた。それに対して、4月13日、企業責任報告書2004年版を発行し、全世界の全契約工場(700超)の名前・所在を公表した。これは、従来企業秘密であるといわれてきた情報を思い切って公開するものであり、高く評価されている。揮発性有機化合物の量も1足当たり340グラム(95年)から16グラムに削減した。
 日本企業の海外工場も影響を受けている。昨年、パナソニックのフィリピン工場は、ボーダフォンの監査を受けた。ここで、パナソニックの労働条件に問題があれば、ボーダフォンは契約を打ち切るということになる。
 「グローバル・コンパクト」の第10項の腐敗の問題は、海外では10年来大きな問題である。今年に入っても、モンサントがインドネシアで、タイタンも西アフリカのベニンで賄賂問題でやられた。日本も先月、外国高官への賄賂防止が不十分との批判をOECDから受けた。
 社会的責任というのは、一面的に答えが出ないものだ。例えば、全米でトップの売上を誇るWal-Martは、自分達は、店舗を3,700から4,000にもっていきたい、という。主に中所得・低所得の人を雇って、彼らに労働の機会や昇進の機会を与え、社会的に責任を果たしている。組合は、非効率でコストが高くつくので社会のためにならない、と考える。組合をもつより、毎日低価格品を提供して、所得の低い人たちにも価格ダウンの恩恵を受けてほしい。自分たちが店を出せば、関係した商店が来る。さらに今年から10年間に35億自然保護に使うことで、社会的責任を果たす、という。しかし、一方では、Wal-Martのせいで地域のスーパーが廃業に追い込まれる。8割方が中国製品で、米国内に失業が増える。組合を認めないから低賃金がまかり通っている、という問題もある。
 米国では、肥満が社会問題化している。肥満に起因する医療費は莫大であり、胃を小さくする肥満治療は13万件に昇る。日本でも、その問題が近々くることが予想される。例えば、マクドナルドが問題視されるが、マクドナルドはハンバーガーを含まない健康志向にあった商品を売り出し、かえって売上が伸びた。ハンバーガーよりも単価は高くてコストは低いという抜け目のない商売である。
 カリフォルニア州では、2030年までに車の排出ガスを27%減らすということを決定したのに対し、全米の自動車工業会は、これだけ厳しい環境規制をされたのでは全米の自動車メーカーはついていけない、連邦政府の方針に反する、といって州を提訴した。しかし、全米自動車工業会の中には日系の自動車メーカーであるトヨタやホンダも入っている。それに対して、日本の環境NGOは、環境規制の足を引張るなということで自動車工業会に抗議をした。この状況に対して、トヨタはジレンマを抱える。TOYOTAの経営戦略は環境負荷軽減と利益の両立で、奥田会長率いる日本経団連は企業の社会的責任(環境保全)の呼び掛け人であり、米国に京都議定書への復帰を求めている立場である。しかし、トヨタは合弁会社を通じ全米自動車工業会のGMと友好関係をもつし、米自動車メーカーへの苦境支援を検討すると奥田会長は言った。これに対し、グリーンピース・ジャパンなど環境団体は、訴訟からの撤退を日系メーカー5社に要求し、公開質問状を現在突きつけている。
 また、日本の有名商社の現地法人が、社員から人権訴訟を起こされるということがあった。日本人のバイスプレジデントが「25〜30歳・男性・東洋人の採用が望ましい」というメールを採用担当に出したところ、非アジア系の雇用・給与・昇進を差別している、ということになった。事実、200人中、黒人は3人のみ、管理職121人にアフリカ系女性ゼロ、ヒスパニック系が1人、毎週の打ち合わせは日本語、何人かの幹部が人種差別発言した、
妊娠した女性の配転を会社が要求した、それを指摘し改善を求めた米国人二人は休暇を指示された、という中で、告訴が起こった。要求(1人当たり)は、400万ドルの解職手当、年金、5,500万ドルの補償と弁護士費用であり、こういう事態が起こると莫大なお金が動くことになる。

4.日本企業への期待
 日本の企業は、国内における企業倫理・コーポレート・ガバナンスをきちんとするのはもちろんのこと、海外の出先の現時法人の企業倫理にもきちんと取り組むことが期待されている。また、地球温暖化など、グローバルな社会的責任への認識・参画も期待されている。昨年5月のニューヨークでの「発展途上国において企業はどのように行動すべきか」というシンポジウムのときには、主催者のウォートンスクールの先生に、日本は世界で第二の経済大国なのに、ヨーロッパやアジア各国から参加があってグローバルに議論するときに、日本からは誰もこない、社会的責任を考えないのか、と指摘された。
 またもう一つ日本にとって重要なのは、CSR、市民感覚である。日本人の社員、あるいは日本の企業は一個の市民として何が正義かを考え、理念・原理原則を貫徹し、より良い世界とするために発言・行動していく必要がある。つまり、個として確立すべきではないだろか。
 また、新しい“リスク社会”の到来を認識すべきである。地球温暖化、自然破壊、人口爆発、水資源枯渇、テロ、大量破壊兵器、原子力事故(チェリノブイル的)、新技術(遺伝子工学ほか)、新型疾病(BSEほか)など、従来のリスク・マネジメントのメカニズムに限界が来ている。国境、社会、距離、時間を越え 地球規模に、コスモポリタン的リスク社会の共通感覚をもつ必要がある。過去のデータ・知識がない新しいリスクに対して、企業としてもどう対応するかを考えておかなければならないだろう。
 さらに、日本の文化的伝統の認識も、重要である。図18のような、文化の違いがある。そのような中で、このままアメリカに流されていくのか、グローバルな時代の中で我々は何を守るべきか、真剣に考えていかなければいけない。わたしは、これからのサステナビリティの課題に対して、アジア人あるいは日本人として「共生」と「もったいない」の二つのキーワードを提案していくことを考えている。大量消費、大量廃棄の時代で、そんなことをしていると地球は絶対にだめになる、そういったことを提言していこうと考えている。

質疑応答

1.量刑ガイドラインの対象範囲について
 量刑ガイドラインで企業の組織そのものをチェックするようになったのは1991年であるが、企業で最大の組織は何かというと、国家組織である。国家組織が、その対象からはずれていれば片手落ちだと思うが、近年の改定でその点の発展もあったのでしょうか。
 一言でいえば、あらゆる組織犯罪に対して適用されます。例えば環境関係でも、軍でも、量刑に絡むときには、この考え方が適用されます。しかし、これは量刑を科する場合のガイドラインにすぎないから参考にすればいいのだ、あとは裁判官の任意の裁量を増やしていいのだという議論もあります。実際問題として、これは従来どおり使われ、いろんな関係で規範となってくるだろうと思う。


2.グローバル・コンパクトへの日本企業の参加について
 現在、グローバル・コンパクトは世界で76カ国1,782組織が参加しているが、日本企業は32社しか参加していない(4月)。日本の代表的企業が参加しておらず、大企業であればあるほど参加することにシュリンクしている状況であり、問題だと思うがどうか。
 日本企業もいい動きもあります。例えば、CSR報告書や環境報告書では、世界でダントツです。CSR報告書のグローバル・レポーティング・イニシアティブ、GRIという世界的な基準に沿って作るというのも日本が全体の2割ぐらいを占める。英米が2桁の企業が参加であるのに対して、日本からは3桁の企業が参加している。しかし、国際的な問題、グローバルな問題に対する日本の企業の認識はまだ遅れている。また、国連が世界中で女性が物事を決められる位置にあるかどうかを調査した結果は、日本は世界34番位くらいで、ナミビアやフィリピンより下であった。フィリピンは大統領が女性である。グローバル・コンパクトでは、例えば人権の問題などは、どうしても日本の中だけで考えていると関心が薄くなるということもあるだろう。

3.CEOの取締役会での解雇について
 大きな企業のCEOが取締役会で解雇されている話があった。逆に解雇されたCEOのほうが解雇した理由に対して訴訟を起こすなどの動きはないのか。
 理論的にはありうるが、解雇される理由が社会的に納得性がある場合にはなかなか抵抗するのは難しい。ボードは株主の代表だということになると、それに対して訴訟を起こすことはなかなか難しいのだろう。本人に黙って首を切るというより、目立つのは納得させて解雇するという形が多い。米国でも、これだけ大物のCEOになりますと、取締役会も気をつかい、話を重ねて、軟着陸を図っている。
 アメリカの場合、訴訟が起こりうる。ただし、量刑ガイドラインは州法ではなく刑法で、しかも連邦法の中の犯罪に関する公法である。いわゆる民事の経済法より上位であるため、個人の立場でなかなか乗り越えられないという事情があると思う。
 ご指摘のガイドラインもあると思う。それから、業績不振の責任で批判を受けることも多い。ヒューレットパッカードのフィオリアという女性も、自分で権限を集めすぎる、社内の意見を聞かない、ということで批判を受けた。

4.キャロルのモデルについて
 CSRピラミッドモデルについて質問がある。バリュー思想の考え方からいくと三つの輪になるという議論に変わりつつあるということであった。私はこの中で、単に3つの輪が重なるのでなく、倫理が一番に上に来るべきだし、アメリカでもそうなのではないかと思う。JR西日本の事故もそうであるが、経済では、効率を重視してプロフィットを最大にすることを目指す。実際の企業の活動では、法律で決めてあるものは守るとしても、その中間に位置するものが多くあり、それらについての判断をいつも問われている。すると、その判断において、3つが単純に重なるのでなくて、倫理が一番上に出てくる必要があると思うがどうか。
 重要な指摘と思う。実際にキャロルは、企業として一番目指すべきはこの三つの輪が交錯しているところであると言っている。量刑ガイドラインの考え方でも倫理が重視され始めている。しかし、キャロルが言っているのは、この三つはやはりパラレルであって、三つ重なるところがいちばん望ましいところだということである。キャロルは、三つの中に実際に米国の社名をそれぞれ入れている。たとえば、倫理の輪にはルメルクという薬会社が倫理最優先の会社として分類され、三つの重なったところはラビッツが例示されている。企業によってプライオリティは違う。経営体としては倫理がいちばん基本であるというのは私も賛成する。
 だれのために奉仕するかという組織の特性の問題もある。行政は国民、市民のために奉仕するのが最優先。それに対して、組織のために働くというのが顕著なのが民間企業の活動である。組織のためでなく、個人のため、という部分に倫理が関わってきて、組織でやると例外になってしまう。

5.情報伝達の改善について
 シティグループの改革としてFive Step Planのスタートが紹介されたが、この中で、2番と3番、情報伝達の改善と人材育成の強化というところをもう少し詳しく説明していただきたい。改善への具体的な提案があったかどうか、など。日立製作所でも情報伝達で良好なコミュニケーションに向けて努力はしているのだが、具体的にどういったコミュニケーションを図ればいいか模索中で、手助けとなる助言があればいただきたい。
 情報伝達の改善については、ひとつには、悪いニュース、マイナス情報が上に上がらなかったという問題を改善すべきだというのがいちばんのポイントである。すぐ上の上司には上がっても、マネジメントまで上がってこなかった。情報伝達もっとコミュニケーションをよくしましょうというキャンペーンを社内でやるということである。米国のシティグループのウェブサイトには少し載っている。しかし、あまり詳しく掲載されておらず、私もこれ以上の情報がない。申し訳ないです。人材育成の強化も同じです。

6.グローバルな問題、新しいリスクに取り組むためのヒント
 地球環境問題や人口爆発など新しいリスクの問題があるということだった。電力研究所では、温暖化の問題などに取り組もうとしているが、企業が動かないのでなかなか取り組みにくい。このような巨大でコスモポリタン的なリスクに企業が取り組むトリガーとなるようなヒントはないか。
 企業が取り組む場合は、それぞれ企業の業種なり風土によって、我が社ができることは何かという自分らしさを考えながら取り組むということが重要と考える。全企業が一つの教科書で、一つのパターンで動くということではなく、個々の実状に応じて自分たちはどういうふうに参加できるかということを考えるのがCSRと考える。本来CSRは企業ごとに全部違うものである。例に挙げたBPも全部カバーしているわけではない。中研さんは地球温暖化に対するような取り組みもされていますね。できることからということで、室温を28度にすることから始めてという企業があっていい。

7.ISOの動きについて
 ISOで、倫理的な国際的なスタンダードを作ろうということで、昨年暮れに動きがあった。日本の経団連さんと海外下部組織でも積極的に作成について関与していくということであったと思う。その後の進展に関する情報や、国際的なスタンダードを作ることについての菱山先生のご意見をお伺いしたい。
 3月にブラジルで第1回の会議が開かれ、ステークホルダーが出て、これからどういう取り組みをするかという第1回の議論をして一応キックオフにはなったということは承知している。しかし、その後具体的にどうこうということは私は存じていない。東京電力さんどうですか。
 東京電力です。その会議に参加していた者が私たちの社にいる。直接詳しい話を聞いたわけではないが、どういう切り口で今後ガイドラインづくりの議論をしていくかということに議論が集中して、やっと結論めいたものが出て、今度それに従ってやっていきましょうというところまでだと聞いている。
 いろんなステークホルダーがいるので大変で、時間がかかるだろうと思う。この動きへの個人的意見は、私はそれが議論されたときには経済産業省のメンバーで参加したときがあったのでそこで述べた。私は企業にいた人間であるので、企業のCSRをISOが規定することには基本的には賛成できない。企業の社会的責任をどう考えるかは、企業のトップが知恵を絞って考えること、いわば聖域の部分で、これで経営に差が出てくる。それをISOという形で枠をかぶせるというのはなじまない。今度も彼らはたぶん企業のフリーハンドが多い形でやってくださると思うし、それを望む。
 これから2年かけて、具体的に何ができるかを詰めるという段階に入ったと聞いている。フィージビリティの段階はさらに進んだと理解していいのではないか。

8.CSRに取り組む範囲 −地元、地域、国、世界?
 CSRに取り組むときに、どこまで取り組めばいいのかという問題がある。今自分の会社だけを考えるだけでは物事は解決しない。その場合、そのベースは県レベルか、国レベルか、世界的規模で考える必要があるかという問題がある。本当は企業の規模や企業の実力によって出ていけるフィールドが違うと考える。その中で世界を舞台としている企業のかたがたが出ていく場所は世界ではないか。世界としてフィールドとしてやっているのであれば、世界に視野を向けた企業としての在り方を考えていく。それがグローバル・コンパクトにも通じるだろう。日本の企業、大企業のかたがたがやるべきこと、できることはもっとあるのではないかと私は思っているが、どうか。
 企業は大きくても小さくても、それは規模の問題と考えます。ただ方向としては、我々の会社の問題は何なのか、国の問題は何なのか、グローバルな問題は何なのか。その三つを考えて、その中で自分の規模なりのできることをやっていくことだろう。
 世界各国で環境問題も含めて、委員会等が海外に開かれている。各企業には、参加の誘いも来ていると思うが、企業はみなどの程度、受けたり断ったりしているのか。断るべきなのか、出るところは出てきちんとやっていくべきなのではないか。委員会等に出て行くことが日本の企業にも必要な時代になっていて、それをすることが日本の存在価値や企業の価値を上げることにつながるのではないかと思う。参加すべきものが様々にある中で、日本企業がどの程度参加しているのか分かればいいと思う。
 参加への誘いは、ある場合もない場合もあると思う。企業にも毎日の競争が厳しいなどいろいろな事情がある。私が今度米国に行くときには、米国の企業がボストンまでの飛行機代と宿泊代を出してくれる。米国では、企業が、世界中から意見を集めてよりよい米国を考え、社会貢献しようということをやっている。企業はいろいろな形で貢献できるわけで、要は企業は自分たちのCSRをどう考えるかということだろう。参加しなくてもお金を出して第三者を派遣するということもできる。