第3回 Ethics Crossroads Town Meeting

2005年4月22日(金)
金沢工業大学 虎ノ門キャンパス

「価値の明確化」による道徳教育

諸富 祥彦 氏(明治大学助教授)

 

道徳教育の3つの流れ
道徳教育についての考え方としては、特にアメリカなどを中心に、3つの流れがある。

(1) インカルケーション(品性)教育
 これは、その個人が属する文化や社会内で、望ましい価値を身につけさせ、品性を内面化させていく教育のことである。
例: アメリカ市民ならば、こういう価値を身につけてほしいというリストを羅列し、その価値を内面化させていく。
 日本の学校での道徳教育はこれに近い。日本人であるならば、こういう価値を身につけておいてほしいというものが、文部科学省で小学校では28(親切、国を愛する心など)あげられている。具体的な教育方法としては、道徳教育の副読本を生徒に読ませ、ストーリーを読んで、主人公の心情を推し量り共感することで、「道徳的なできごと」を感じさせ、望ましい価値を内面化させていく。

(2)

道徳性の認知発達理論(cognitive development)
 ピアジェの発達心理学などをベースにしている。ピアジェは、子どもたちの認知、思考の発達の法則を見つけていった。認知の発達と道徳的な発達には関係がある。ピアジェの功績を、その後、ローレンス・コールバーグ教授(ハーバード大学)が発展させていった。
 方法としては、葛藤場面を想定させる。例「妻が不治の病。ある薬局が、その病が治る唯一の薬を売っている。しかしそれは高価で買えない。ここで、夫は妻を救うために盗むことは道徳的に正しいか」を考えさせる。
 認知発達理論の立場では、完全な正答はないと考える。すなわち、答えの内容によって道徳性は問われない。内容ではなく、結論に至る理由付けを重要視する。その理由付けをきちんとできる能力が、道徳的な認知発達であると考える。思考を鍛える立場である。
 その認知力を発達させるためには、同じレベルの生徒を集めて議論させると、ちょっと上の生徒からの刺激で認知力が発達すると考える。

(3) 価値の明確化(Value-clarification)
 この立場は、道徳性に関わる感情や感覚、感性を育てるという立場である。ヒューマニスティックエデュケーションの流れ(人間性教育の流れ)である。アメリカの1960年代から80年代半ばまででは、大学生の価値教育で行われていた。
 (1)の「品性教育」が、「アメリカに住むならば、こういう価値を身につけるべきだ」に対して、価値の明確化では、社会で是認される価値はすでに身につけられていると考え、むしろ、脱社会化、自己実現を図る。自分自身の価値をクリアーし、明確化することのほうが、インカルケーションにより社会的価値を獲得させることよりも重要と考える。教師は、生徒個人個人に、自分は何を大切にし、何をミッションに生きていくのかを自問自答させて明確化させていく。
 価値の明確化は、キャリア支援にも関係し、大学生や社会人にも応用される。方法は、開発的カウンセリングとも似ている。開発的カウンセリングでは、構成的グループエンカウンターの方法ももちいられ、それぞれのメンバー同士が支えあう。その中で参加者は、自分は何を大切にして生きて行きたいか、この企業で何をビジョンをもってやっていきたいのか、それを考えて、発表する。そのことによって、刺激と支援を互いに受ける。

価値の明確化による道徳教育の方法
<ワークの例:私の旗じるし>

(諸富祥彦:「道徳授業の革新 ―『価値の明確化』で生きる力を育てる」明治図書)

目標:このエクササイズを通じて、現在・過去・未来の自分についてアウェアネスを高めること。

最初の3分:はたの各パートに質問(1)〜(6)までの質問の答えを書く。
グループのメンバーと答えをわかちあう。グループ内で一人持ち時間2分で発表(30秒発表、1分30秒質疑応答)。
さらに、個々人で(1)から(6)に戻って自問自答。

質問項目
(1) 今までの人生ので、あなたが最も影響を受けた人はだれですか。
(2) 今までの人生で、あなたが最も影響を受けた出来事は何ですか。
(3) 今の自分について、あなたが自慢できることは何ですか?
(4) 今の自分について、あなたが改めたいと思っている点は何ですか。
(5) あなたは一年後に死ぬことになっているとします(別に「ハルマゲドン」のようなことが起こって、人類が全滅してしまうわけではありません。あなただけが何かの事故で死ぬことになっていて、そのことをあなたは知っているのです)。そう仮定した場合、あなたがこの1年にどうしてもやっておきたいことは何ですか(希望すれば、必ず成功することにしておきます)。
(6) あなたが自分の生涯でこれだけは成し遂げたいと思っているところは何ですか。

 Creative Odの中でも、価値の明確化は取り入れられている。価値の明確化は自己の明確化(セルフクラリフィケーション)である。

価値の明確化の方法:ヒューマニック・エデュケーション
 方法としては、カウンセリング的手法、特にロジャースの手法を使う。ヒューマニスティックエヂュケーション、全人的教育の流れを汲む。自己覚醒(アウェアネス、自分の内面の動きにアウェアしていく)。

価値の明確化の哲学
(1) プロセス主義
 価値の明確化はプロセス主義による。どんな価値をもっているかよりも、どんなプロセスを経てその価値観をもっているのか、を大切にする。内的なプロセスをきちんと踏むことが重要と考える。プロセス主義で行われている実践としては、カウンセリングがあげられる。
例) クライアント「ぼくは、自分のことも、親のことも、世の中すべての人のことが許せないんです。あれだけひどい目にあったのだから、世の中の人をすべて殺してしまっても自分はゆるされるのではないか、と思うのです」
 というクライアントの発言においては、「世の中の人をすべて殺す」という価値の内容は好ましくないものですが、それに対してカウンセラーは「それは、悪いことだよ、許されないよ」とはいわない。逆に「そうなんだね、世の中の人を殺してしまいたいくらい、つらかったんだね」とフィードバックすることで、クライアントはより本当の自分の気持ちに気づくことができ「そうなんですよ、別に自分だって、人を殺したいわけではないんですよ。ただ、本当につらかったんです」とプロセスは変化していく。
 ここで、「人殺しをしたい」という価値の内容よりも、「人を殺したいと思うほどのつらい気持ちを抱いた」ということをクライアントが表現し、その気持ちを受け止めてもらって、さらに自分の本当の気持ちに気づいていくというプロセスこそに価値があるのだ、という立場が、プロセス価値説である。

<相対主義とその批判>
 価値の明確化のもう一つの哲学は相対主義である。しかし、それは「それぞれみんなすきずきだよね」というという「単なる相対主義(虚無主義的相対主義)」ではない。
 価値の内容には普遍性はなく相対的だが、プロセスには普遍性があると考える。道徳教育において、学生が議論をして、その結果、答えが議論の前と同じだとしても、議論するプロセスに価値がある、と考える。

価値付け過程Valuing Process ―よいプロセスとはどんなプロセスか。
 価値の明確化では、道徳の内容を学ばせる(内面化する)のでなく、価値付け過程(プロセス)を学ばせようとする。では、どんなプロセスがよいプロセスなのか。価値付け過程の創始者のラスによれば、「価値付け過程」を構成する要素として、次の3つの次元と7つのサブ・プロセスを挙げている。

I 尊重する
(1) 尊重し大切にする
(2) みんなの前で自分の考えを表現する
II 選択する
(3) 択肢を考える
(4) おのおのの選択肢の結果について考える
(5) 自由に選択する
III 行為する
(6) 行う
(7) 繰り返し、一貫して行い続ける。

 これら7つのすべてが満たされた上での意思決定であれば、その価値は望ましい、と考える。IIIの実践力が大切、ということについては、モラルスキルトレーニングを行う。自分がこうするべきという価値について、話し合わせ、その後、ロールプレイをさせる。

 その後、多くの研究者たちがこの7つのステップを改訂発展させた。例えば、メリルハーミンは、新しい7つのステップを提案した。第三のステップである「自己の内なる心の智恵を感じ取る」は非常に重要な提案である。

(1) その場面におけるさまざまな可能性に開かれている
(2) 結果を予測する
(3) 自己の内なる心の智恵を感じ取る
(4) 選択する
(5) 選択した行為を実際に行う
(6) 持続性(その行為を何度も繰り返す)
(7) 自分の選択を支持し、はっきりと他者に述べる

 また、ハワード・キルシェンバームらは根本的な改訂を行った。彼等は、5次元23ステップを提案した。

I 考える
(1) 7つのすべてのレベルにおいて思考する
(2) 批判的に思考する
(3) 論理的に思考する
(4) 創造的に思考する
(5) 基本的な認知的スキル
(6) 多角的思考
(7) 道徳的理由付け
II 感じる
(1) 自分自身のうちなる感情に気づく
(2) 自分自身の内なる感情を受け入れる
(3) 抑うつ的な感情を取り除く
(4) 肯定的な自己概念を味わう
III コミュニケートする
(1) 明確なメッセージを伝える。大勢の前での宣言を含む
(2) 共感的に理解する
(3) 明確化の質問を行う
(4) フィードバックを与え、受け取る
(5) 「勝負なし法(win-win method)」で葛藤を解決する
IV 選ぶ
(1) 選択肢を考え出す
(2) それぞれの選択肢の結果についてじっくりと検討する
(3) 戦略的に選択する
 目標の設定、問題解決、データの収集、計画する
(4) 自由に選択する
V 行う
(1) 繰り返し行う
(2) 一貫して行う
(3) 技能を使い、うまく行う

 キルシェンバームは、価値の明確化のプロセスにおける感情の重要性に気づいた。価値の明確化のプロセスは、ロジャースのいう「自らの内的な経験に開かれていく」プロセスと非常に似ている。キルシェンバームは、価値の明確化は認知的プロセスとしてだけ取り扱われるのでなく、情緒的プロセスとして取り扱われるべきである、と指摘した。だから、価値の明確化は、ときに、心理教育の一種だとか、クライアント中心カウンセリングの一つだと認知されることがある。
 生徒が、外的なルールによってでなく、内なる思考や感情によって価値判断をできるきとが重要である。その人の本当の感情に気づき、それにそって価値判断をすることが重要である。

実践例 ―小学校などで
 教師は生徒に詩を読ませ、その生徒が詩のどの部分に共感をするかを選ばせ、他の生徒の意見を受容的態度で聞かせる。すると、生徒たちはそれぞれの違いがあることに気づき、互いを尊重し、自身の中に芽生えた新しいアイディアに気づく。
 科学技術倫理教育でも、同様の方法が応用可能であろう。例えば、学生が、科学技術に関連する様々な価値について理由付けとともにランキングをつけ、そして互いに議論する。自己覚知して、互いにリスペクトし、さらに自分の価値観に磨きをかけていくというプロセスこそが重要なのである。